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少女「それは儚く消える雪のように」
- 796 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]
投稿日:2012/03/11(日) 18:08:54.03 ID:Jwqg5rEa0
手術室の前で、
絆は背中を丸めて椅子に座り込んでいた。
その隣では、霧が顔を伏せて椅子の上で
小さくなっている。
すでに、雪が倒れてから数時間が経過していた。
これまで、霧とは一言も喋っていない。
しばらくして渚がヒールのかかとを鳴らしながら
こちらに歩いてきた。
そして手に持っていた
温かいコーヒーのカップを絆に差し出す。
「どうぞ。落ち着きます」
それを受け取り、絆は深く息をついた。
- 797 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/11(日) 18:09:34.85 ID:Jwqg5rEa0
黒い水面に、憔悴した自分の顔が映っている。
渚はもう片方の手に持っていたココアを霧に渡し、
また口を開いた。
「……あの子の寿命は、
もう超過しているのではないのですか?」
絆は弾かれたように顔を上げた。
そして押し殺した声で渚に言う。
「あんたに何が分かる……!」
「何も分かりません。
ですから、私はあの子が可哀相だと思います」
珍しくはっきりと渚が言った。
「可哀相……?」
- 798 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/11(日) 18:10:20.59 ID:Jwqg5rEa0
霧もポカンとして渚を見ていた。
絆は一瞬躊躇した後、声を低くして彼女に言った。
「意味が分からない。可哀相だって?」
「はい。あの子はもう十分に『役目』を終えました。
そろそろ楽にしてあげてもいいのではないでしょうか?」
「あんたの口に出す問題じゃない……!
あの子のトレーナーは俺だ。
俺の方針に口を出さないでもらいたい」
「絆執行官。それは……あなたのエゴではないですか?」
渚に静かにそう言われ、絆は口をつぐんだ。
――エゴ?
エゴだって?
- 799 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/11(日) 18:11:01.50 ID:Jwqg5rEa0
雪を生かそうとしているのは、単なる絆のエゴで。
死なせてやることが優しさだと、この女は言うのか?
「殺すことは……」
絆の脳裏に絃の姿がフラッシュバックする。
「殺すことは救うことじゃないぞ!」
思わず大声を上げる。
渚は口をつぐんで視線を伏せた。
「絆執行官、あなたは愛ちゃんというバーリェが
死んだ時から、挙動がおかしい点が見られます」
小さな声でそう言われ、
絆は噛み付かんばかりの勢いで彼女に言った。
「おかしい? 俺がおかしいだって?」
- 800 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/11(日) 18:11:36.97 ID:Jwqg5rEa0
「…………」
「……おかしいのはお前らだろう!」
また豹変した絆の様子に、
霧が完全に怯えて小さくなる。
「本部は、あなたの監査役として私を任命しました。
私はあなたのことをを監査しています」
渚が言ったことを聞いて、絆は口をつぐんだ。
薄々感じてはいたことだった。
渚が妙に絡んでくると思っていたのだ。
愛が死んでから、確かに絆の挙動はおかしくなった。
前に見られないくらい感情的になったし、
何より戦闘を、バーリェの死を
恐れるようになっていたと自分でも思う。
- 801 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/11(日) 18:12:14.50 ID:Jwqg5rEa0
本部もそれを察知していたらしい。
渚は黙り込んだ絆に言った。
「今のあなたは、トレーナーとして不適任だと
私は思います。
少し、距離を置いた方がいいのではないですか?」
言葉を返すことが出来なかった。
絆は手元のコーヒーの水面をじっと見つめた。
霧に適応できなかったのは、
彼女が悪いのではなく絆自身だ。
渚の言うとおりだった。
「俺は……」
彼が口を開いた時だった。
- 802 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/11(日) 18:12:53.99 ID:Jwqg5rEa0
コツ、コツという早足で歩く足音が聞こえてきて、
絆たちは長い廊下の向こうに視線を向けた。
女性職員を二人引き連れた本部局長、駈が、
腰に手を回して足早に歩いてくるところだった。
座ったままの絆の前に止まって、
彼はサングラスを指先でクイッ、と上げて言った。
「絆執行官、出撃だ」
「え……」
思わず問い返してしまった彼に、駈は無情に続けた。
「サナカンダに新しい死星獣が出現した。
既に本部のトレーナーは出撃が完了している。
新しい個体だ。そのバーリェを使用することを命令する」
- 803 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/11(日) 18:13:26.23 ID:Jwqg5rEa0
言われた霧がビクッとして小さくなる。
駈はポカンとしている絆に再度言った。
「どうした? 出撃だ。準備をしろ、絆執行官。
それと、今回はヒトガタAAD七○一号、
陽月王に新しいシステムを組み込んである。
君のバーリェをもう一体、ラボから搬送する。
G67だ」
「……デュアルコアですか?」
絆が我に返り、押し殺した声で聞く。
デュアルコア。
事前に資料を渡されて読んでいたが、
実装されるとは思っていなかった。
- 804 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/11(日) 18:13:56.08 ID:Jwqg5rEa0
バーリェを二体使用して、
AADを動かすシステムだ。
今まで以上に安定した出力と操作が見込める。
だが……G67とは、命のことだった。
「G67は、陽月王の稼動領域に達していませんが……」
絆がそう言うと、駈は淡々とそれに返した。
「君はS93(霧のこと)を甘く見ているな。
問題ない。今回はS93とG67を使用せよ。
元老院からの命令だ」
そう言えば黙るとでも思っているのだろうか。
絆はコーヒーを床にぶちまけ、
椅子を蹴立てて立ち上がると駈の胸倉を掴み上げた。
- 805 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/11(日) 18:14:32.46 ID:Jwqg5rEa0
そしてそのまま、彼を壁に叩きつけて、
スーツを捻り上げる。
女性職員二人と渚が、小さく声を上げて硬直する。
霧も同様だった。
サングラスの奥の瞳を淡々と光らせ、
駈は静かに聞いた。
「何をする?」
「あんた達は……あんた達はおかしい。
こんなの人間がやることじゃない。
そこまでして生き延びたいのか!
そこまでしてあんた達は、
自分達さえ良ければそれでいいってのか!」
- 806 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/11(日) 18:15:06.71 ID:Jwqg5rEa0
「おかしいのは君の方だろう、絆執行官」
駈はそう言って、絆の手を掴んで脇にはらった。
スーツのしわを直して、
彼は荒く息をしてこちらを睨んでいる絆に、
淡白に言った。
「ともかく戦闘だ。無論今回も、君は現場に
行ってくれるんだろうな?
陽月王は三人乗りのシートに改装されている。
安心したまえ」
駈はくるりと背中を向けると、
絆に向かってひらひらと手を振った。
「今回もいい戦果を期待している。
頑張って我々の命を守ってくれたまえ」
- 813 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/12(月) 18:22:07.66 ID:Lwpj/Fjf0
時間はなかった。
陽月王のコクピットに、
有無を言わさずと言った感じで詰め込まれる。
まるで、絆が現場に直接出向くのが
当たり前であるかのように。
隣に霧が座り、陽月王を乗せたトレーラーが
動き出したところで、彼女はおずおずと口を開いた。
「マスター……?」
「…………」
絆はそれに答えなかった。
両手で頭を抱えて、背中を丸めていた。
- 814 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/12(月) 18:22:59.37 ID:Lwpj/Fjf0
頭がこんがらがって、訳が分からなくなっていた。
雪が。
雪が死んでしまうかもしれない。
この戦闘をしている間に。
それは絆にとって、今の彼にとって、
とても「恐ろしい」ことだった。
それに、この戦闘で霧と命が死亡する確率は、
非常に高い。
また俺は。
俺は、殺さなければならないのか。
それ以前に、俺は生きて帰れるのか。
- 815 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/12(月) 18:23:40.68 ID:Lwpj/Fjf0
そう、有体に言えば。
絆は、怖かった。
死ぬのが。
そして、目の前で死んでしまうのが。
手の届かないところで死んでしまうのが。
ただ、ひたすらに怖かったのだ。
震えて汗を垂れ流している絆を見て、
霧は少し躊躇したが、そっと手を伸ばして、
雪がいつもするように彼の手を掴んで、
自分の両手で包み込んだ。
そしてぎこちなく微笑んで、言う。
「大丈夫です。マスターのことは、
私が絶対に守ります」
- 816 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/12(月) 18:24:18.53 ID:Lwpj/Fjf0
「…………」
絆は憔悴した目を彼女に向けた。
「だから、安心して私を使ってください。
私を、安心して殺してください。
そのことで私は、マスターを恨んだり、
天国で悪く言ったりはしません」
「天、国……?」
言葉を噛み締めるように繰り返す。
「天国だって……?」
「はい。私たちバーリェは、
死んだら天国に行けます。
雪お姉様が教えてくださいました」
霧はそう言ってまた微笑むと、
絆の手を、自分の胸にそっとつけた。
- 817 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/12(月) 18:25:02.23 ID:Lwpj/Fjf0
「それって、とても素敵なことだと私は思うんです」
「素敵……? どうして?」
「だって、天国ではみんな、同じ存在になれるんです。
人間もバーリェも、みんな同じ。
均等な命として扱われるんです。
だから、天国で私は、マスターがいつか、
幸せにこの世を旅立って、そしていらっしゃるまで、
ゆっくりとお待ちしていようと思うんです」
「…………」
「だから、その時まで……その時まででいいですから……」
「…………」
「私を、好きになってくださいますか?」
絆は絶句していた。
- 818 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/12(月) 18:25:40.42 ID:Lwpj/Fjf0
霧の口からそんな言葉が出てくるとは
夢にも思わなかった。
まさかロールアウトから数日の個体が、
ここまで自分を想っているとは考えがたかった。
それに、天国。
そんなものの存在を、
今更信じたことはなかったのだ。
それを雪が教えたということも、
絆に重大なショックを与えていた。
天国なんて、ない。
神様なんて、いないんだ。
そう言い聞かせようとして、
言葉を発することが出来ずに失敗する。
- 819 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/12(月) 18:26:22.05 ID:Lwpj/Fjf0
絆の脳裏に、死んだ愛の姿が
またフラッシュバックする。
絆は、いつの間にか泣いていた。
片手で目を覆い、彼は強く歯を噛み閉めた。
――言いたくなかった。
そんなことは、絶対に言いたくなかった。
他のトレーナーと、エフェッサーと
同じにはなりたくなかったから。
だから、絶対に言いたくはなかった。
でも……。
彼は、小さく呟くように言った。
「俺は……………………」
- 820 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/12(月) 18:26:58.49 ID:Lwpj/Fjf0
言いたくない。
そんなことは、もう言いたくないんだ。
でも……。
俺は、トレーナーで。
だから。
…………だから。
「お前のことは、大好きだよ……」
言ってしまった。
――言ってしまった。
絆は小さく震えながら、大粒の涙を零した。
ガチガチと歯が震えた。
- 821 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/12(月) 18:27:41.93 ID:Lwpj/Fjf0
震えている絆を、別の意味でとったのだろう、
霧がそっと抱き寄せる。
「大丈夫です。マスターは絶対に死にません。
何故なら、私がいるからです」
「…………」
「大丈夫です…………」
段々と、心細そうに霧の声が、尻つぼみに消えていく。
霧は強く唇を噛んで、背中を丸めた絆の体をそっと撫でた。
そこで、陽月王のハッチが開いて、技師と、
病院服を着せられて連れられた命が入ってくる。
命は、絆の様子を見て一瞬言葉を失った後、
慌てて駆け寄ってきた。
「どうしたんですか! 絆さん!」
- 822 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/12(月) 18:28:22.97 ID:Lwpj/Fjf0
「…………」
絆は答えることが出来なかった。
技師が無理やりに命を、絆と霧の後ろのシートに
座らせて、彼女の体にも霧と同じように
点滴やチューブを差し込んでいく。
「ちょっと待ってください!
絆さんの様子がおかしいです!」
バーリェは備品だ。
備品がどう喚こうが、その声を聞く者はいない。
もがく命は両腕、両足をシートに固定されて、
身動きが取れないようにされてしまった。
両手で操縦桿を握るように指示されて、
命は必死に技師に訴えた。
- 823 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/12(月) 18:29:02.46 ID:Lwpj/Fjf0
「降ろしてください!
絆さんは戦える状態ではありません!」
「点検、異常なし」
「全ての設定をニュートラルへ。ハッチ閉まります」
機械的な音がして、陽月王のハッチが閉まった。
「絆さん、しっかりしてください! ここを……」
「黙りなさい!」
そこで霧が大声を上げた。
彼女は、ワインレッドの妙な色に変色を始めた瞳で
命を睨むと、押し殺した声で言った。
「私達はバーリェです! マスターを守らなければ
いけません。速やかに死星獣を倒して、帰還します!」
- 824 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/12(月) 18:29:41.37 ID:Lwpj/Fjf0
『その通りだ。顔を上げたまえ、絆執行官』
プツリと音がして、駈の顔がモニターに表示される。
絆は歯を強く噛みながら、操縦桿を握った。
手がガクガクと震えている。
『今から陽月王をサナカンダに、高速エアラインで
緊急搬送する。既に現場のAADが、トップファイブも
含めて二十五機やられた。敵は最終的な防衛ラインを突破。
こちら、エフェッサーの本部に向かって侵攻している』
「ここに……向かって?」
『そうだ。これからデュアルコアシステムの
簡易的な説明を開始する。起動実験を兼ねた重要な戦闘だ。
気を抜くな』
絆の問いに完結に答えて、駈は続けた。
- 825 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/12(月) 18:30:18.50 ID:Lwpj/Fjf0
『基本的なエネルギーラインはS93(霧のこと)が
担当する。G67(命のこと)、お前は陽月王の補助操縦と
予備電源を担当することになる』
ガコン、と陽月王が揺れて、トレーラーが浮き上がる。
サナカンダはここから高速エアラインで
三十分もかからない場所だ。
近い。
……近すぎる。
ここに向かって侵攻しているというのも気になった。
しかしその時の絆には、それを追求する余裕も、
心の隙間もなかった。
名前を呼ばれた霧と命が緊張する。
- 826 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/12(月) 18:31:00.92 ID:Lwpj/Fjf0
霧が
「分かりました……!」
と押し殺した声で言って、
目を閉じて意識を集中させた。
『エネルギー抽出ノラインヲ九十七倍デオーバー。
全テノシステムヲ起動シマス。
ジャンクション。オールグリーン』
……九十七倍?
絆は弾かれたように顔を上げて、
機械音声が示した数値を、思わず計器で確認した。
雪よりも強い。
そして安定している。
「ね、大丈夫です……」
- 827 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/12(月) 18:31:37.51 ID:Lwpj/Fjf0
少し苦しそうに言って、霧がニコッと笑う。
『起動はクリアしたようだな。詳細の説明に移る』
唖然としている絆をよそに、
駈は淡々と事務的な操作説明を行っていった。
やがてまたガコン、とトレーラーが振動して、
陽月王の入っているボックスの入り口が開く。
……駈の話など、ほんの少ししか
頭に入っていなかった。
手が震えて仕方がない。
怖い。
降りたい。
帰りたい。
- 828 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/12(月) 18:32:22.89 ID:Lwpj/Fjf0
頭の中を、パニックに陥った少女のような
思考が駆け巡る。
『では、健闘を祈る』
プツリと音がして駈の通信が切れる。
次いで画面に渚の顔が表示された。
『死星獣は十一時の方角、F477地区を侵攻中です。
軍は撤退しました。
残存しているAADと共に叩いてください』
「…………」
『絆執行官?』
様子がおかしい彼に気付いたのか、
慌てて渚が問いかける。
- 829 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/12(月) 18:33:07.60 ID:Lwpj/Fjf0
『返答してください。戦闘は既に開始されています!
重力量子指数増大、指向性流動波観測!
敵に陽月王が捕捉されました!』
「…………」
『絆執行官!』
絆は答えなかった。
いや、答えることが出来なかった。
震えを、歯を強く噛むことで抑えるだけで
精一杯だったのだ。
「マスター、行きます」
「絆さん……」
霧がそう言って意識をまた集中させる。
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