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少女「それは儚く消える雪のように」
312 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/23(木) 21:27:42.14 ID:oI7jiOK60


それから一週間後のことだった。

金髪のバーリェが目を覚ました、と報告を受け本部にやってきたときには、
彼女は出荷された瞬間のバーリェ特有に、意識が混濁している状況だった。

初めて見る外の世界、
初めて聞く外の音に脳内にインプットされた知識が追いついてこないのだ。

ベッドの上に上半身を起こし、
ボーッとしている少女の脇に座り、絆は控えめに声をかけた。

「……俺が分かる?」

それを聞いて少女はゆっくりと絆の方を向いた。

ぼんやりしているが、瞳の焦点は合っている。


313 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/23(木) 21:28:14.40 ID:oI7jiOK60
綺麗な薄い黄色の目。

金色の髪も、綺麗に梳かされている。

完全に記憶を消し、新しい人格を植え込んだのだ。

体は成長した状態だが、中身は初期状態である。

少女はしばらく不思議そうに絆のことを見ていた。

彼の経験からして、大体バーリェが一番最初に発する言葉は

『ここはどこですか?』

だ。自分が置かれている状況をまず知ろうとする。

しかし、この子は違った。


314 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/23(木) 21:28:57.72 ID:oI7jiOK60
「ごしゅじんさま?」

言われて絆の脳に電流が走った。

椅子から転げ落ちそうになりながら、なんとか自制する。

この子の記憶は全部消えているはずだ。

初期化されたんだから。
偶然だ。

そう自分に何回も言い聞かせて、無理矢理その考えを頭から追い出す。

そしてゆっくりと、絆は笑顔を浮かべた。

手を伸ばし、彼女の髪に触れて頭を撫でる。

そうすると少女は目を閉じて、ネコのように気持ちよさそうに体を揺すった。


315 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/23(木) 21:29:45.82 ID:oI7jiOK60
「んー……」

鳴き声のように音を出すバーリェの顔を覗き込んで口を開く。

「俺の名前は絆。今日からお前の保護者になるんだ」

「ほごーしゃー?」

間延びして怪訝そうに聞かれる。

バーリェに、そんな赤ん坊のように問いかけられたのは
初めてのことだったので困惑しながら絆は頷いた。

「あ、ああ」

「ほごーしゃー、さん?」

指差されて繰りかえされる。

どうやら自分の名前がそれだと思ったらしい。


316 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/23(木) 21:30:21.69 ID:oI7jiOK60
幼児退行とはこういうことなのか……? 
と息をついて絆はもう一度言った。

「俺の名前は絆。よろしくな」

「よろーしくー。ほごーしゃーさん」

「いや、絆だ」

「あははっ」

今度は笑い始めた。会話が噛みあっていない。

でも──絆は正直心の底から安堵していた。

目に、光がある。

いくら言っていることの意味が分からなくても、
この子は生きている。

俺と同じように、生きている。


317 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/23(木) 21:31:50.82 ID:oI7jiOK60
息をついて、また頭を撫でる。

「まぁこれから詳しいことは覚えていけばいい。じゃあ帰ろうか、愛(マナ)」

「まーなー?」

「お前の名前だ」

そう言って小さな少女をベッドから抱き上げる。

お姫様を抱くように持ち上げ、絆は小さく笑った。

「愛、だよ」

「まーな」

「そう、良く出来た」

微笑む彼女から目を離し、絆は足を踏み出した。

一年半前のこと。

それから彼女が、絆の名前を覚えるのに二週間がかかった。


318 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/23(木) 21:32:46.07 ID:oI7jiOK60


朝が来る。今日も、何の変哲もない朝が。

絆は小さく呻いて目を開けた。

最近は夜半がやけに冷え込むので、
ラボの中は暖房器具をつけ放しにして最適な温度に保っている。

しかし、何だか今日は寝苦しかった。

仕事がない日は大体朝の七時半から八時に起きるようにしているが、
時計を見るとまだ六時になったばかりだった。

ベッドの上に上半身を起こす。

まだ外には太陽は出ていない、薄暗い。


319 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/23(木) 21:33:21.52 ID:oI7jiOK60
周りを見回すと、バーリェたちはまだ静かに寝息を立てていた。

死星獣を倒すための兵器、
AADを動かすために使用されるクローン、生体弾丸。

しかしその実態は、なんら自分たち人間と変わらない、
いや……むしろ感情を失くしたこの社会の中では、
絆たち人間よりもよほど鮮やかな表情を持っている生き物だ。

眠気の残る頭を振って、絆は大きく欠伸をした。

そして水でも飲もうかとベッドの下に降りる。


320 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/23(木) 21:34:01.00 ID:oI7jiOK60
食堂に向かう途中、姿勢正しく人形のように寝ている、
ひときわ色の白いバーリェの前で止まる。

雪だ。

最近、ますます髪が白くなってきたように思える。

新型AADの実践訓練後の延命手術以来戦闘には出していないが、
日に日に弱っていくような気がするのはたぶん気のせいではない。

バーリェの寿命は長くても三年。

雪は、あと四ヶ月でその期間を迎える。


321 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/23(木) 21:34:56.68 ID:oI7jiOK60
そうでなくても彼女は……何というか特別だった。

普通のバーリェがたとえ三十体束になったとしても
かなわないほどの生体エネルギー含有量を持っている。

故に、絆たちの組織は盲目の彼女を非常に酷使したがる。

延命手術を施行したのも、
貴重なサンプルである彼女をもっと利用したいがためだ。

雪から目を離し、食堂に向かう。

考えても仕方ない。
今は。


322 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/23(木) 21:35:39.16 ID:oI7jiOK60
少し前は、もう雪はだめかと思っていたのだ。

今生きているだけでも御の字だろう。

そう、割り切らなければやっていけない。

そう考えなければ何を考えたらいいか、いつも分からなくなる。
いつも。

だから絆は、考えず、気づかず。

見なかったフリをするしかない。

毎朝、いつも同じ。

生きていることに安堵して、そしてこれからのことについて考えるのをやめる。

その、繰り返しだった。


323 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/23(木) 21:39:12.35 ID:oI7jiOK60
お疲れ様です。次回の投稿に続かせていただきます。

ご質問やご感想などございましたら、遠慮なさらずどんどんくださいね。

それでは、今回は失礼いたします。


324 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/24(金) 19:49:21.25 ID:o2andqOr0
こんばんは。

続きを投稿させていただきます。

お付き合いいただければ嬉しいです。


325 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/24(金) 19:52:33.89 ID:o2andqOr0
*

「絆さん、朝ごはんができましたよ」

ソファーにだらしなく横になっていると、
黒髪のバーリェ、命(ミコト)の声が頭の上から投げかけられた。

瞑っていた目を開けて、大きく伸びをする。

「おお。今行く」

答えて立ち上がろうとしたときに、
小さな影が目の前でピョンと飛び上がった。

次いでみぞおちに強烈なタックルが降ってくる。


326 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/24(金) 19:53:13.36 ID:o2andqOr0
さすがにそれの予測はできずに、
モロに飛びかかってきた小さなバーリェの全体重を受け、
絆の視界に星が散った。

くぐもった声を上げつつ、
自分の体に猿のように抱きついた子を引きはなす。

小さく咳をして呼吸を整え、絆は大きく息を吸って吐いた。

「愛(マナ)
……お前の攻撃は回を増すごとに凶悪になっていくな……」

「絆ー、ごはん食べようー」

青年に話しかけられたのが嬉しいのか、
パッと表情を明るくして愛が答える。


327 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/24(金) 19:53:56.52 ID:o2andqOr0
この金髪のバーリェは、
他の子に比べて極端に精神年齢が幼い。

人間で言えば六、七歳に相当するだろうか。

普通工場を出荷される時点でのバーリェの設定年齢が
およそ十七歳前後であることからも、
かなり発達が遅れていることが分かる。

つまり体は大きいが、心が幼児なのだ。

当然小さい子ならたいしたことがない衝撃も、
いくら小柄で痩せている女の子だとは言え結構なものになる。


328 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/24(金) 19:54:40.90 ID:o2andqOr0
最近はさらに絆へのタックルに
助走をつける方法を編み出したらしく、
気が緩むとはるか上から降ってくる。

本人は楽しいらしい。

額を押さえて衝撃を緩和しようとしていると、
パタパタとスリッパの音をさせながら命が駆け寄ってきた。

「だ、大丈夫ですか絆さん! 愛ちゃん何やってるの!」

「ごはんの呼びに来たんだよ」

「だったら言葉で言いなさい。絆さん、私が誰だか分かりますか?」


329 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/24(金) 19:55:44.76 ID:o2andqOr0
ピシャリと愛を抑えたにも関わらず、
まるっきり見当違いな心配の仕方をされて、
絆は小さく息を吐いた。

そして愛の体を軽く持ち上げて、肩車の要領で肩に上げる。

「大丈夫。いい加減慣れたよこいつのコレには……」

「苦しそうにされた直後は必ず少しずつたくましくなりますね。
さすがです」

ニッコリと寸分の疑いもなく、笑顔。

大人ぶっているがこの子は実は一番単純。

多分、道端で見知らぬ人間に『飴をやるから』と
言われてもついていってしまうだろう。


330 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/24(金) 19:56:30.37 ID:o2andqOr0
その純粋さは、トレーナーとバーリェの信頼関係で成り立っている
この仕事においてはかなりのステータスとなるが、
この灰色の人間社会で生きていくうえでは極端なマイナス要因にしかならない。

可愛らしさなんて、所詮他人から見れば物質的な人形要素の観点だ。

妄想のはけ口にしかならない。

だからこの子達は、絆の管理を離れて少しでもラボの外に出たら
名実ともに生きていくことはできない。

それだけは確かなこと。

この笑顔も、可愛らしさも。

絆と言う一つの存在に強固に守られているからこそ、
閉鎖的なこの空間の中でのみ成り立つものなのだ。


331 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/24(金) 19:57:24.58 ID:o2andqOr0
「ほら、お前らもゲームはそれまでだ。
電源つけといていいから、メシ食うぞ」

少し離れた巨大なテレビを占領してゲーム中だった優(ユウ)と文(フミ)、
二人のバーリェに声をかける。

彼女たちは双子だが、文の方は口が利けない。

雪と同じく欠陥品のバーリェだ。

声をかけられた優は「はーい!」と元気に返事をし、
きちんとゲーム機の電源を消してから文の手を引いてきた。

彼女たちと連れ立って隣の食堂に入る。


332 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/24(金) 19:59:53.60 ID:o2andqOr0
すでに雪は席についてゆったりと座っていた。

命がかけてやったのか、寒くないようにと羽毛のケープが肩に乗っている。

「おはよう、絆」

「おはよう。具合はどうだ?」

「元気だよ。ほら」

ニッコリと笑う。

こけた頬が、本人は気づいていないのだろうが妙に生々しい。

数ヶ月前まではばら色の顔色だったのが、
今では目の下にくっきりとクマができているのがデフォルトになってしまっていた。

だが、気づかないフリをして頭をなでて、席に着く。


333 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/24(金) 20:00:35.58 ID:o2andqOr0
本来なら、この子はもうとっくに死んでいるはずのバーリェ。

生きているだけで、異例。

無理やりに臓器の交換手術を受けさせられ、生き延びてしまった個体。

それだけで御の字ではないか。

何を考えることがある。

目の前で席に着く少女たちを見回す。

みんな生きている。
今、今日この朝は生きている。
生きて笑っている。


334 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/24(金) 20:01:08.93 ID:o2andqOr0
それだけで十分じゃないか。
他に何を求めるというんだ。

俺は他に、何を求めるというんだ。

求めるものなんて何もないじゃないか。
それだけで十分じゃないか。

「絆さん?」

命に呼びかけられてハッと顔を上げる。
そして絆は軽く笑った。


335 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/24(金) 20:01:45.12 ID:o2andqOr0
「よし、食うか。その前に全員薬飲め。
雪は、ちょっと待ってろな」

立ち上がり、目が見えない雪の分の薬を棚から取り出す。

そして絆は、今まで彼女が飲んでいたものの一つを
、さりげなく本部から渡された更に強力なものに取り替えた。

そして何食わぬ顔で雪の手に握らせる。

彼女がそれを、何の疑いもなく水とともに飲み込むのを確認し、
絆は息をついた。

そう、十分なんだ。
これで。



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