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少女「それは儚く消える雪のように」
- 493 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]
投稿日:2012/02/25(土) 17:40:50.28 ID:bDf9OSPn0
*
その日、部屋に戻ったのは既に夜の七時を回っている頃だった。
バーリェたちは動き回って相当疲れたらしく、
雪が早めに眠りについたのに触発されるように、
優をはじめに食事もとらずにベッドに入りだすような様だった。
彼女達に無理やりに薬を飲ませ、
ベッドに追いやってから絆はソファーに腰を下ろした。
愛に、初めて好きだと言われた。
今まで管理してきた他のバーリェにも、同様に言われたことはある。
だが、そう簡単に彼女達はその言葉を口にすることはないし、
一度も聞かずに死んでしまった子も、無論存在していた。
- 494 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:41:31.03 ID:bDf9OSPn0
彼女達はそうやって愛情を確認する。
自分が相手に向けている愛情が
──それがたとえプログラムされた、作為的なものであるとしても
──相手に届いているのか、認められているのか。それを知ろうとする。
確認。
それは、生きていることの確認だと、
前に誰かに聞いたことがある。
バーリェ精神学を大学で教えていた教授の言葉だ。
今でもまだ理解は出来ない。
生きている。
ここに存在している。
それだけでいいじゃないか。
絆は、そう思っていた。
- 495 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:42:11.81 ID:bDf9OSPn0
それ以上はいらないし、考えても別に死ぬわけでもない。
自分はここにいるし、それを中心に社会という
大きな生き物が内包しつつ展開している。
そのほかにはなんら意味なんてない。
持っているはずがない。
しかし、バーリェはそれを確認したがる生き物だと、
その教授は言っていた。
彼女達の存在は、非常に曖昧なものものだと。
だから他にすがる。
だから、他に生きている証を求めようとする。
- 496 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:42:56.68 ID:bDf9OSPn0
そこで、昼間に雪と命が言っていた言葉を思い出す。
生まれる前の記憶が、彼女達にはあると。
選ばれず死んでいったバーリェ達。
彼女達は、生きていたんだろうか。
それを自分は、見ない顔をして。
知らない顔をして見過ごしていたんだろうか。
人権がなければ、どうでもいいのだろうか。
ふと思う。
何度も、何度もうっすらと頭の奥に浮かんでは消える疑問。
しかしその答えはいつでも得るところまではいかない。
どこかで霧散して、消える。
- 497 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:43:34.85 ID:bDf9OSPn0
そこまで考えて、絆は愛が小さく咳をしているのに気がついた。
近づいて彼女のベッドを覗き込む。
「どうした?」
寝ているかもしれないが一応聞くと、
愛は体を丸めたままこちらを見た。
薬が効いているのだろうか。
目がとろんとしている。
「きずな……?」
「また怖い夢でも見たのか?」
「…………」
答えがない。
- 498 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:44:22.26 ID:bDf9OSPn0
顔を覗き込むと、いやにはっきりとこちらを見ていた。
額にはうっすらと汗が浮かんでいる。
薬が、効かなくなってきている。
それに気づいて絆は黙って持ってきたバッグの方に向かった。
確か予備の、もう少し強力な安定剤があったはずだ。
しかしそれが入っているはずのピルケースは、
カバンのどこにも入っていなかった。
怪訝に思って回りを見回すと、
テーブルの上にふたが開いたまま置いてあるのが見える。
中身は……空だ。
そこで絆は、雪に飲ませてしまったことに気がついて
自分の口元を押さえた。
- 499 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:45:04.29 ID:bDf9OSPn0
迂闊だった。
愛の調子が優れないことは分かっていたはずなのに。
体調管理では雪の方にかかりきりになっていた。
慌てて愛のベッドまで戻り、勤めて冷静を装いながら囁きかける。
「一時間くらい待っていられるか? 落ち着く薬を取ってきてやる」
エフェッサーの本部
……医療部に行けば薬のストックがあるはずだ。
本来呼び出しがないのに向かうような場所ではないが、
なるべく早い方がいい。
だが問いかけられた愛は意外なことに強く首を振った。
そして絆の服を強く掴む。
「やだ。絆いっちゃやだ」
「お、おい……」
- 500 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:45:40.19 ID:bDf9OSPn0
ものすごく戸惑った表情で、金髪のバーリェがこちらを見る。
「やだ」
それだけ言って、愛はまた毛布の中で猫のように丸くなった。
精神的な不安定状態に陥っているようだ。
やはり薬の効きが弱くなっている可能性が高い。
絆は軽く息をついて、そして愛を毛布から抱き上げた。
そのままゆっくりと少女を床に下ろす。
「じゃあ一緒に行くか。歩けるか?」
「…………うん」
強く絆の手を握り、かすかによろめきながら愛が返事をする。
- 501 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:47:29.87 ID:bDf9OSPn0
インターホン越しにエフェッサーの担当に、
残りの子達の管理を頼み、愛にコートを羽織らせ、
絆は急いで部屋を出た。
そのまま一気に駐車場に降り、車に乗り込む。
助手席に座った愛は人形のように俯いて、
青白い顔を更に蒼くしていた。
「大丈夫か? 気持ち悪かったら部屋で待っててもいいんだぞ」
そう言うと無言でまた首を振る。
息をついて絆は車を発進させた。
医療部はここから少し離れたところにある。
だが、ラボに戻るよりは早い。
- 502 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:48:04.89 ID:bDf9OSPn0
夜半の軍部には人通りが少なく、
奇異の目で見られることもなかった。
その点では軽く安心して道路に出る。
「何だか頭が熱い……」
ぼんやりと少女が呟く。
絆は片方の手を伸ばし、少女の手を握った。
「大丈夫だ安心しろ。すぐに薬飲ませてやるから」
「絆が行っちゃうような気がする」
ポツリと、少女は唐突に呟いた。
聞き返すことが出来ずに、ポカンと彼女の方を見つめる。
「……どういうことだ?」
- 503 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:48:40.57 ID:bDf9OSPn0
「少し前から、すごく……そんな感じがする。
わたし、ここにいないような気がする。
このわたしは、わたしじゃないような気がする」
囁くようにぼんやりと愛が言う。
途端に、絆は頭を鈍器で殴られたかのような感覚に襲われた。
最近の愛の不調。
それはやはり、逆行錯乱によるものだった。
この発言からもそれは明らかだ。
消えた、と思っていた過去の記憶。
前トレーナーに玩具にされていた一年間の記憶が、
空白の時間として彼女の心を圧迫している。
- 504 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:49:13.61 ID:bDf9OSPn0
本人もどんな記憶かは分からないが、成長の感覚は残る。
体が覚えている、前の記憶。
心は忘れても、忘れようとしても。
頭のどこかでは感覚が残っているのだ。
成長するにつれて脳細胞の劣化と共に、
やはりそれが顕著になってきている。
……ともかく、医療部に診せたほうがいいな。
連れてきたことは正解だったかもしれない。
息をついてまた口を開く。
- 505 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:49:42.33 ID:bDf9OSPn0
「愛、俺を見ろ」
「……ん?」
「俺は、ここにいないか?」
ニカッ、と屈託なく笑いかける。
そこで少女の表情が幾分か和らいだ。
小さな手を伸ばし、青年の腕に触れる。
「いる」
「だろ? 何バカなこと言ってんだ」
軽く、笑い飛ばしてやる。
そうすることしか出来なかった。
彼女のためにも、自分にとっても。
- 506 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:50:21.69 ID:bDf9OSPn0
そのまましばらく道路を走る。
「何か、ほしいものとかはないか?」
静かだ。この子にしては異常な静かさに圧迫を感じ、
絆は戸惑いがちに口を開いた。
「……え?」
「いや、何かあったら、帰りにでも買ってやるよ」
我ながら陳腐な釣り文句だと思う。
しかし愛は疲れたように笑うと、言った。
「……絆とね、二人でね。えーが観たい」
「えーが?」
映画のことか。そう思って頷く。
- 507 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:51:29.94 ID:bDf9OSPn0
「それは今日の帰りにはムリだな……明日、一緒に行こうか。何を観たいんだ?」
「みことが言ってた、面白いの観たい」
「面白いの、だけじゃわかんないだろ?」
苦笑して返すと、愛は段々と元気を取り戻してきたようで
眠そうな目をまっすぐ絆に向けた。
「男の人と、女の人が一緒に戦う話」
言われて絆は出しかけていた言葉を止めた。
おそらく命は、テレビのコマーシャルか何かでそれを知ったんだろう。
今の社会、映画なんて娯楽はたいしたものが存在していない。
だからその情報だけでも何を指しているのかははっきりと分かった。
- 508 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:52:14.40 ID:bDf9OSPn0
それは、元老院が主催した、
一般にエフェッサーのイメージアップを図るための啓発映画だった。
つまるところ、薔薇色に脚色された
『作り物』のトレーナーとバーリェの物語。
戦場となるのは街だ。
それを守る者のことを一般に知らしめることも、
社会の協力を得るための布石として必須事項だというのは分かっている。
しかし、それをバーリェであるこの子に見せるのか
……そう考えると、一瞬沈黙してしまったのだ。
だが、絆は軽く息を吐いて笑顔を向けた。
- 509 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:52:53.80 ID:bDf9OSPn0
「分かった。俺と、お前だけで行こう」
「……うれしい」
愛が、また笑った。
今度は何も表も、裏も感じない純粋な笑いだった。
いつのも少女の顔。
だがそこにどこか今までよりも大人びたものを感じ
絆は彼女から目を離し、道路を見つめた。
バーリェも大きくなっていく。
そして死ぬ。
あっさりと。
いつも、いつもあっさりと死んで行く。
この子だって例外じゃない。
- 510 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:53:43.74 ID:bDf9OSPn0
なるべくならどんな願いでも……聞いてやりたいのだ。
それを使うものの義務として。
またしばらく、そのまま進む。
そしてエフェッサー本部に通じる国道に入りかけた時だった
。
不意に、車に備え付けの通信機が音を立てて鳴った。
ボタンを押して回線を開く。
「はい。絆です」
『絆執行官。出撃命令です。
サンガストン地方にアンノウンが出現しました。
今までにないタイプです。直ちに迎撃をお願いいたします』
「……私に?」
あまりに唐突な通信に思わず聞き返す。
- 511 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:54:30.92 ID:bDf9OSPn0
助手席を見ると、出撃という単語を聞いた愛が、
少し不安の入り混じったまじめな顔でこちらを見ていた。
彼女から目を離してまた口を開く。
「しかし私のAADは現在整備中です。
それに、休暇願いを提出しているはずですが」
『申し訳ありません。元老院からの要請でございます。
絆様のAAD、陽月王の整備は先ほど完了いたしました。
即刻の出撃が可能です』
有無を言わさずという感じだ。
サンガストン
……ここから高速輸送機で行けば一時間とかからない場所だ。
近い。
- 512 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:55:15.86 ID:bDf9OSPn0
「一応お聞きします。拒否は出来ませんか」
『拘束規定第百五十一条の適用範囲と存じます。
絆執行官は、可能な限り高速に、
エフェッサー本部に出頭せよとの命令です。では』
切れた。
こんな時に……と軽く舌打ちをして車を反転させる。
しかしこれが、この仕事の本質だ。
死星獣はこちらの都合に合わせて出現するわけではない。
むしろこちらの都合の悪い時に現れるのが常だ。
そして自分達に招集がかかったということは。
その死星獣は、とてつもなく厄介な代物であるという
事実に他ならなかった。
- 513 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:56:00.78 ID:bDf9OSPn0
……雪を使うか。
突然のことに頭が対応し切れていないが、
無理やりに思考を立ち直らせる。
久しぶりのラボ以外での休暇で、脳内回路が緩んでいる。
雪は……。
そこで絆は、心臓が凍り付いて思わず車を歩道に乗り上げ、
停車した。
急ブレーキがかかり、
シートベルトに体を抑えられた愛が小さな悲鳴をあげる。
(まずい……)
心の中ではっきりと、そう呟く。
雪には通常バーリェに服用させる薬の、
およそ四倍の適応量のものを投与してある。
- 514 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:56:35.51 ID:bDf9OSPn0
他の子たちにも薬は飲ませ、効いていることは確認している。
バーリェに一度薬を飲ませてしまったら、
中和剤を投与して効果を打ち消せる時間は三十分まで。
とっくに過ぎている。
と、すれば。
現段階で自分が使用できるのは、
薬の効果が確認できていない愛一人。
偶然にも使用可能な状態だ。
しかし……こんな逆行錯乱状態の不安定な子に、
よりにもよってあのAADを動かさせることなんて出来るだろうか。
- 515 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:57:11.47 ID:bDf9OSPn0
普通なら、このような事象は仕方のないことなので
出撃を拒否することが認められている。
だが当然監査は入る。
使用可能だったバーリェを使用しなかったと分かれば、
極刑は免れない。
自分の役職はそれほど重要なものだ。
使うのか、この子を。
改めて自分の浅はかさを呪う。
もう少し多く薬をラボから持ってきていたら。
その考えが頭をぐるぐると回る。
- 516 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:57:45.49 ID:bDf9OSPn0
絆は、あの人型AADに乗りたくなかった。
自分のバーリェ達を乗らせたくなかった。
あれはエネルギーを喰いすぎる。
まるで高出力の放熱器のように、
そこにいるだけでバーリェの力を吸い取って、
あっという間に空にしてしまう。
あれは嫌いだ。
まるで本当の電池じゃないか。そう思ったのだ。
しばらくハンドルに額を預けて、考え込む。
ラボに戻り、愛に薬を投与し
……そして全員が使用不可であることを報告するか。
……できない。
- 517 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:58:20.43 ID:bDf9OSPn0
死星獣は侵攻を続けているのだ。今、まさに。
考えをまとめようと息を吸い込んだところ、
だがゆっくりと愛は口を開いた。
「絆……何してるの? いこ」
「……え?」
「早くわたしとかいぶつやっつけに、いこ」
にっこりと少女が笑う。
「それとも絆、また雪使う?」
「い……いや……」
「だったら、このままいこ」
……それしかないのか。
絆は黙って頷くと、
車を急旋回させて元向かっていた道へと走らせた。
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