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少女「それは儚く消える雪のように」
408 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 15:25:10.08 ID:bDf9OSPn0


「絆」

朝日が完全に昇った窓の外を見ていると、
後ろから声をかけられ、絆は振り返った。

壁の手すりで体を支えながら、雪が歩いてくるところだった。

最近、彼女には薬が効かない。

あの後バーリェ全員を安定させるために、
即効の薬を飲ませて寝せたのだが。

やはり雪には効果がなかったらしい。

本部の医療班も、彼女の、薬を受けつけなくなっていく
急激な耐性には首をひねっていた。

今のところ何の問題もないが
……いずれ何らかの障害が起こる可能性は高い。


409 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 15:25:47.42 ID:bDf9OSPn0
絆はまだ手にもてあそんでいた小さな注射器の針を折り曲げ、
そっとゴミ箱に放り投げた。

軽い音を立てて中に着地する。

先ほど、愛の腕に注射してきたものだ。

他の子に投与した薬より何段階か強い精神安定剤。

催眠作用もあるので、
今日の午後までは彼女を含めた全員は目を覚まさない。

雪は考え込んでいる青年の脇に手探りで歩み寄ると、
慣れた動作で脇に腰を下ろした。


410 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 15:26:31.12 ID:bDf9OSPn0
「絆?」

もう一度呼びかけられて、そこで初めて彼は雪の方を向いた。

「ン……ああ。どうした? やっぱり寝れないか」

「うん。でも、今日はお休みの日だから
……絆もゆっくりするんでしょ? 
だから私もゆっくりしようと思って」

そう言うと、雪は手を伸ばして絆の肩辺りに触れた。

指をぼんやりと這わせて、
先ほど愛に引っかかれた頬の手当ての痕を触る。

「大丈夫?」

「これくらいなんてことない。
第一、お前だって来たばっかの頃は俺のこと引っかいて凄かっただろ?」

「それは……」

困った顔で手を離し、少女が俯く。


411 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 15:27:20.57 ID:bDf9OSPn0
絆が言ったのは本当のことだった。

当初、目が見えない雪を戦闘に出したらパニックを起こし、
コクピット内で暴れたことがある。

それから彼女は
……いわゆる戦闘恐怖症というものにかかってしまったらしく、
今の愛のように夜中、
無意識に暴れるようになってしまったことがあった。

極度の恐怖が生んだトラウマだとか何とか医療班は言っていたが、
当時の絆はほとほと困り果てた。

戦えないバーリェほど、存在価値がないものはない。

本部から処分命令が来るかもしれない。

だから、予備として二体目のバーリェ管理を始めたのも一つの理由だった。

いわば切羽詰っていたのだ。


412 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 15:28:15.40 ID:bDf9OSPn0
二人目を管理し始めても、
雪の調子は一向に良くならなかった。

そんな彼女を救ったのは、音楽だった。

今の社会ではあまり見かけることのなくなった、
そのような音源情報がバーリェの精神安定に効くという話を聞き、
やってみないよりはいいだろうと、
エフェッサー本部に格納してあったデータを数点持ってきて聴かせてみたのだ。

生まれてはじめて音楽を聴いた雪は、驚くほど静かな性格になった。

それまでのびくびくして臆病だったのが嘘のように、
安定し始めたのだ……理由は良く分からないが。


413 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 15:29:03.10 ID:bDf9OSPn0
音楽なんて、絆は嫌いだった。

非効率的で、よく分からない。

そもそも芸術分野など、今の人間の大部分が苦手なものを
彼は同様に好きではなかったのだ。

そこまで思い出して絆は小さく呟いた。

「……そういえばあのディスク、何処行ったかな……」

雪が気に入った、と言ったので渡して。
それから先は把握していない。

絆の呟きを効いて少女は少しの間考え込んでいたが、
やがて思い出したのか、軽く手を叩いて口を開いた。


414 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 15:29:43.54 ID:bDf9OSPn0
「あの、ワッハフバンの第十八楽章? 
そういえば、絆が私に何かくれたのはあれが初めてだったね」

嬉しそうに少女が言う。

絆は顔を上げて、彼女の焦点が合わない瞳を見た

「まだ持ってるのか? 
愛にはあいつが欲しいってもんは色々買ってやってるけど
……悪いがあいつの不安定も治せるかもしれない、貸してくれるか?」

いかし聞かれて雪はきょとんとしてそれに返した。

「どうして?」

「どうしてって、お前、音楽を聴いたら大分静かになったよな。
あれ聞くと安心するんだろ?」

「安心……? うーん……どうだろ……」


415 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 15:30:39.88 ID:bDf9OSPn0
少し、少女は考え込む。

やがて雪は顔を上げると小さく首を振った。

「あれは私のものであって、
愛ちゃんのものになるわけじゃないから。
だから、絆は別のものを買ってあげた方が喜ぶと思うよ」

「ん……そうなのか?」

「うん」

それはつまり、
自分のものだから貸したくないということなのだろうか。

瞬間的に意味を理解することが出来ずに聞き返したが、
雪は軽く頷いて目を閉じてしまった。


416 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 15:31:33.16 ID:bDf9OSPn0
肩に寄りかかって深く息を吐いたバーリェの頭を撫でながら、
少し表情を落とす。

喜ぶ……か。

十年前まではその意味さえ知らなかった言葉。

実際、そんなことを意識して生きている人間なんて、
今の社会にはおそらく数えるほどしかいない。

喜びも、それがあるからこそ感じる哀しいと言うものも、
バーリェはほいほいと簡単に使う。

意味なんて多分分かっていない。
しかし、あっさりと口に出す。

絆はいまだ、その言葉の意味が良く分からなかった。


417 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 15:32:24.13 ID:bDf9OSPn0
ただ、つまるところバーリェが笑えば嬉しい、喜んでいる。

泣いていれば悲しんでいる。

そういう外見的な特徴を見てどことなく判断しているだけなのだ。

自分が子供の時には、そんなこと考えたこともなかった。

四歳の時には、既に親が出した金を使って自立し、住んでいた。

自分の身の回りのことはすべて自分でやっていたし、
それが当たり前だと思っていた。

一人で生きていくことが、当たり前。

他の誰かに合わせる必要もなければ、協力する必要なんてない。


418 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 15:34:05.45 ID:bDf9OSPn0
そんな自分が、バーリェの精神
……心について気にかけている。

たとえ業務上に必要なことだとしても、
どことなく矛盾しているような気もする。

「……久しぶり……」

不意に、雪が言った。

「ん?」

「絆と二人きりになるの、久しぶり」

彼女は笑った。

──喜んでいるんだろう。

頭の奥で、機械的に絆は判断し小さく微笑み返してやった。


419 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 16:25:53.06 ID:bDf9OSPn0


その電話がかかってきたのは、
数日後の昼を過ぎたあたりのことだった。

「点検……ですか?」

思わず聞き返して首を傾げる。

電話口の向こうで、エフェッサーの連絡要員が
無機質にそれに応答してきた。

『はい。絆執行官所有のヒトガタAAD、
七〇一型の動力駆動系システムに点検、
および改善の要請が元老院から来ています。
つきましてはドックに輸送させていただきたいのですが』


420 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 16:26:43.85 ID:bDf9OSPn0
突然、陽月王の点検作業が入ったという内容だった。

確かに最近は死星獣の出現がなく、
それにあわせて出撃もしていなかったが、そんな話は初耳だ。

「元老院が?」

もう一度聞き返す。

実のところ、二日前に陽月王はメンテナンスを終えていた。

いつでも出撃可能だと太鼓判を押されたばかりだったのだ。

『左様です。今朝〇七三一に本部に指示が下されました』

「絃執行官のヒトガタAADはどうなっていますか?」

『現在のところ、指示が出ているのは絆様のAADのみです。
輸送許可をお願いします』


421 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 16:27:35.83 ID:bDf9OSPn0
自分の機体だけが再点検……少し考えて絆は軽く息をついた。

おそらく、ただの点検ではない。

この前回収した死星獣の残骸から、
何らかの兵装を開発すると言う話を聞いたことがる。

──多分、その試験台にされるのだ。

確証はないが、連絡員を問い詰めても仕方がない。

多分。この人は何も知らない。

短く輸送許可を出して、絆は通信を切った。

その【点検】作業が終わるのは、明後日の夜らしい。
ずいぶんと時間がかかる点検だ。


422 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 16:28:46.23 ID:bDf9OSPn0
とりあえず本部が詳しく説明をしてこない以上、
何を聞いても無駄だろう。

いざとなれば出撃拒否をすればいい。

そう考えて、絆はバーリェたちが食事中の食堂に戻った。

AADがないということは、
死星獣が現れても出撃ができないと言うこと。

つまり、点検が終わるまで自分達は待機を
解除されている状態に他ならない。

こんな機会はめったにない。

……軍のレジャー施設にでも連れて行ってやろうかな、
などと考えながらドアを開ける。


423 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 16:29:24.31 ID:bDf9OSPn0
レジャー施設というよりはリラクゼーション用、

つまり軍人個々の精神安定のために設けられている特設施設であり、
別に遊ぶ場ではないのだが、リラックスできる空間なのは間違いがない。

席に着くと、皿の片づけを始めていた命がこちらを向いて口を開いた。

「絆さん。お仕事ですか?」

「また怖いのが来たの?」

まだ食事を続けていた愛が顔を上げて首を傾げる。

そしてガオーッ、と怪獣のようにおどけて見せた。

それを見て優と文がクスクス笑っている。

何か、内輪で話をしていた最中だったらしい。


424 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 16:30:12.70 ID:bDf9OSPn0
どことなく安心しながら絆は軽く首を振った。

基本的に、彼女達バーリェは同族同士では
よほどのことがない限り喧嘩はしない。

そもそもが生体弾丸の特質上、
互いに不快感を持つようには調整されていないのだ。

まぁ、あくまでそれはデータ上の調整における話であり、
現実では当然該当しないケースも数多く存在しているが。

とりあえず、今回に限っては愛が
他の子と不仲にならなかったようで、
絆は安心していたのだった。


425 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 16:31:10.05 ID:bDf9OSPn0
そもそもの愛の明るい性格もあり、
また、あれから夜中暴れ出したりはしていなかったために、
話を蒸し返したりする子はいなかった。

幸いだ。

「逆だよ。死星獣が出てこないから、ニ、三日遊んで来いってさ」

短く言うと、全員が一旦きょとんとした後、
戸惑って互いの顔を見合わせた。

「あら……暇ですね……」

残念そうに命が呟く。

バカみたいに喜ぶとは思っていなかったが、
雪までが少しがっかりした顔をしているのに気がつき、
絆は僅かに予測を外れた展開に軽く息をついた。


426 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 16:31:51.59 ID:bDf9OSPn0
日常生活の喜びと、彼女達個人が保有している自己顕示の欲求は別だ。

何よりもバーリェは戦闘で自分の命が消費されることを幸せと考える生き物。

難しい。

正直何年経っても、慣れない。

しかし絆はすぐに持ち直し、軽く笑いながら続けた。

「まぁ、滅多にないからなこういう機会は。優が行きたいって言ってた
……アレ。フォロントンだっけか? 
さすがにあそこまで行くことは出来ないけど、
軍のリラクゼーション設備を貸しきってやることは出来るぞ。
たまにはここの外にも出てみたいだろ?」

そう聞くと、五人のバーリェの反応が一気に二分されたのが絆には分かった。


427 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 16:32:43.05 ID:bDf9OSPn0
素直に喜んだ顔をしたのは、優、文、そして愛の三人。

雪と命は戸惑った顔でこちらを見ている。

「ほんと? 私本部の検査室以外に行くの生まれて初めて。
絆、いつ行く?」

目を輝かせながら、優が身を乗り出して聞いてくる。

その隣で文も小さく笑っている。

言われてみればそうだ。

彼女達はここに来てから、
他の場所に行くのはおそらく初めてのことだ。

「ラボにいても特にすることもないしな。
俺が本部に了解もらったらすぐにでも移動するか」


428 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 16:33:20.37 ID:bDf9OSPn0
「お出かけだって、愛、リラクなんとかってとこ、泳げるのかな?」

「泳ぐってここのお風呂よりおっきい?」

「バカだなぁ愛、泳ぐって言うのはもっと広くて深くて……」

聞いちゃいない。絆は少しばかり表情を緩めて、
反応がない二人の方を見て口を開いた。

「命も、雪も大丈夫か?」

言われて二人ともハッとしたように顔を上げる。

「あ……いえ、楽しみです」

一拍遅れてニッコリと命が笑う。

しかし雪は表情を落として下を向いてしまった。


429 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 16:33:55.23 ID:bDf9OSPn0
「ゆ……」

雪、と呼びかけようとしたところで、
いきなり目の前に愛の顔が飛び出してきて、
危うく椅子から倒れこみそうになる。

大きな目を更に大きくした彼女が下からこちらを覗きこんでいたのだ。

「絆、私泳ぎたいー」


430 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 16:34:30.27 ID:bDf9OSPn0
間延びした声で言われて、雪に向けかけていた言葉を飲み込む。

そして青年はポン、と愛の頭に手を置いた。

「分かった。じゃあ泳げるところを貸しきっておくか。
必要なものは後で教えるから。
とりあえずお前ら。メシ食って薬飲め。
ちゃんとやることやらんとつれてってやんないぞ」

両手の平を叩いて、絆は言った。



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