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少女「それは儚く消える雪のように」
283 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/23(木) 21:03:04.26 ID:oI7jiOK60
2.臨界まであと四秒

そのラボに入ったのは、つい一年半ほど前のことだった。

俺が命じられたのは、戦闘で死亡したトレーナーのラボに行き、
彼の後始末をすることだった。

俺は、死んだトレーナーのことはよく知らなかった。
心底嫌いだったのだ。あの男が。

知らなかったというよりは、
知ろうとしなかったということのほうが正しいかもしれない。


284 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/23(木) 21:04:31.00 ID:oI7jiOK60
バーリェをまるでモノのように扱っていたからだ。

俺のように、何人も彼女達を管理しているが、
戦闘に連れてくるバーリェは皆一様に生気がなく、
瞳には光が映っていなかった。

ボロボロの皮膚。
整っていない、浮浪児のような髪。

少なくとも、同じ職場で仕事をする仲間として
俺は奴を認めていなかった。


285 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/23(木) 21:05:23.16 ID:oI7jiOK60


一度雪を本部に連れて行った時。

その、目が見えない俺のバーリェが通路の真ん中で立ち往生したことがあった。

彼女のことは廊下に残して来たのだが、
いつまでたっても戻ってこない俺を探しに来ていたらしい。

人を呼べばいいのに、あの子はそれをしなかった。

その時の俺は他ならぬ雪の体調について説明を受けていた。

彼女を呼ぶわけにはいかなかったのだ。


286 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/23(木) 21:06:17.86 ID:oI7jiOK60
何しろ俺のいる、死星獣という正体不明の化け物を駆逐する組織、
エフェッサー内部ではバーリェは生命体ではない。

単なる生体燃料の道具だ。

担当医師の説明にはいわゆる『容赦』がない。

薬についての説明が終わり、医務室を出たのと、
『そいつ』が雪のことを蹴り飛ばした現場に遭遇したのはほぼ同時だった。

なんとかすぐそこまで来ていたらしい。

その彼女に対し邪魔だとか、
何だか言葉にも出来ないようなドス黒いセリフをあいつは投げつけていた気がする。


287 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/23(木) 21:07:08.22 ID:oI7jiOK60
一瞬何が起きているのか分からなかった俺の前で、
雪は壁にぶつかってその場にうずくまった。

バーリェにとって、トレーナーの言葉は絶対だ。

それが誰であろうとも彼女達の意識下に刷り込まれたプログラムにより、
絶対服従の姿勢をとる。

奴はうずくまって震えている雪を殴りつけようと、手を振り上げていた。

その時だった。俺が、生まれて始めてキレたのは。

よく分からなかった。分からなかったが…
…そいつを、ただ殴り飛ばしてやりたくなったのだ。


288 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/23(木) 21:07:58.90 ID:oI7jiOK60
そして数秒後には思い描いていた通りの行動をとっていた。

ジンジンと痺れる右拳。

骨が痛いというのは本当に、今まで経験したことがない体験だった。

血だ。白い欠片も床に転がっている。
俺は、そいつの歯を叩き折ったらしい。

あまりに頭に血が昇っていたので、
自分がした行動を理解するのに何秒か間が必要だった。

まさか相手に逆襲されるとは思ってもいなかったのだろう。

口から血を流しながら、そいつは何かを喚きつつ、
逃げるように通路の奥に走って行った。

まるでモノのように、無表情な奴のバーリェを抱えて。


289 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/23(木) 21:08:34.16 ID:oI7jiOK60
その子は、目の前で自分の主人が殴られたというのに
表情一つ変えていなかった。

何もない、何も映さない空虚な瞳。

──壊れている

俺はそれを見て、ゾッとした。

何が怖かったのかは今でもよく分からない。

だが何かこう、人形じみた狂気を感じたのだ。


290 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/23(木) 21:09:18.87 ID:oI7jiOK60
明日も、今日さえも存在しないただそこにあるだけの存在。

その諦めきった灰色の瞳だったのだ。

数秒後、呆然としていた俺の隣で雪が泣いた。

本当に大声で、赤ん坊のように俺にしがみついて泣いた。

俺はただ、彼女を抱いてやることしか出来なかった。


291 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/23(木) 21:10:13.70 ID:oI7jiOK60


それから一年。

奴には一回も会っていないが、又聞きで、
死星獣に、待機していた野営地ごと飲み込まれて死亡したということを知った。

正直せいせいした、と言うとまるで悪魔のセリフのように聞こえるが、
実際そう感じたんだからしょうがない。

人間とは往々にして身勝手で傲慢な生き物だ。

そして直、俺と同僚の絃に、奴のラボを捜索するようにという
元老院からの直接のお達しがあった。

その時は、彼らの出した命令の意味は全く分かっていなかった。

ただの遺留品回収だとばかり考えていたのだ。


292 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/23(木) 21:10:51.39 ID:oI7jiOK60


「……酷いな、こりゃ……」

絃の声が聞こえる。
遠くの方で。

絆は唾を飲み込んで、その場に凍りついた。

死亡したトレーナーのラボに侵入し、奥の部屋に入った途端、
その地獄は目に飛び込んできた。

全く予想もしていなかった衝撃だった。

熱湯を浴びせられたかのように、二人は通路に硬直していた。


293 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/23(木) 21:11:25.42 ID:oI7jiOK60
まるで、養鶏場だった。

広い部屋の四方には、壁に固定された鎖がある。

その先端に首をくくりつけられたバーリェの姿が幾体も床に転がされていた。

無残な、腐臭。全員事切れている。

足を踏み出し、絃は大きく息をつきながら
手近なバーリェの亡骸の脇にしゃがみ込んだ。

無論、彼女達は服など纏っていなかった。

やせ細った体が目をそむけたくなるくらい凄惨だ。


294 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/23(木) 21:12:09.06 ID:oI7jiOK60
絃がその腕を持ち上げると、
骨と皮ばかりの上腕に無数の注射の跡のようなものが確認できた。

丁寧に元の場所に腕を置き、絃は立ち上がって呟いた。

「何だ……? 一体何が……」

吐き気をこらえながら絆は唾を飲み込んだ。
そしてやっと口を開く。

「……バーリェが……こんなに……」

「生体実験でもしてたのか……妙にこの部屋、何もないが……」

目を剥きながら周りを見回す。

確かに、十数体のバーリェの亡骸の他には
アスファルトの床と壁がむき出しになっているだけだ。


295 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/23(木) 21:12:59.86 ID:oI7jiOK60
換気扇だけが空虚な音を立てて回転している。

窓もない。

床を見ると、ホコリが溜まっているが
……何か機材類のようなものを置いていたらしい場所はその密度が薄かった。

引きずった跡もある。

誰かが何かを移動させたというのは明白だった。

しばらくして、二人は逃げるようにその悪魔の部屋を出た。

ラボの外に掛け出て、二人で大きく息をつく。


296 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/23(木) 21:13:41.75 ID:oI7jiOK60
「絆、とりあえず本部に応援を呼べ。これは異常事態だ。
俺たちじゃ対応しきれない」

「……分かった」

頷いて携帯端末のスイッチを入れ、手短に用件を伝える。

そして絆は地面に座り込んだ。
そして頭を抱える。

「……何が、あったんだ……」

まださっき見た光景を理解できていなかった。

頭の芯の奥がそれを認識するのを拒否しているのだ。


297 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/23(木) 21:14:23.89 ID:oI7jiOK60
二人で大きく息をつき、外見的にはごく一般のラボを見上げる。

「元老院はこれを確認したかったんだ」

大分経って絃がポツリと言った。

「これを……?」

「知らないか? 
最近、工場出荷前のバーリェが大量に行方不明になってる。
人権擁護派とかの狂った奴らがやってることかと思われてたが、
まさかその犯人が身内にいたとはな
……俺もそこまでは考えていなかった。
確かにここの持ち主はいい同僚じゃなかったが」

「聞いたことはある。だが、これは……」


298 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/23(木) 21:15:13.26 ID:oI7jiOK60
「いずれにせよ、調査は俺たちの役目じゃない。
任務は確認だ。素直に応援が来るのを待とう……大丈夫か?」

心配げに覗き込まれ、絆はしかし気を張る余裕もなく大きくため息をついた。

「……これで三件目か」

「ああ。今年に入ってからな。お前さんは見るのが初めてだったな。
バーリェに感情移入してるお前さんは辛いだろ」

「まぁ、な……」

小さく呟いて遠くの青い空を見上げる。

今年に入ってから三件目。

バーリェの失踪事件に合わせて、大量に死亡した亡骸が発見された事件だ。

しかしトレーナーのラボから見つかったのは初めてのこと。


299 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/23(木) 21:16:20.77 ID:oI7jiOK60
「これじゃ、本当にモノだな」

さりげなく呟いて頭を抱える。

そのまま吐き気を息と共に外に出す。

「実際にモノだ。
ヒトじゃない。
バーリェは実質的にはAADを動かすための燃料だからな
……きちんと動作すれば、極論的に言うと管理体制はどうでもいいんだ。
あとはモラルの問題だ」

淡々と絃はそう返した。

絆はとっさに返すことが出来ずに口をつぐんだが、
聞こえるか聞こえないかの声で小さく言った。

「ヒトじゃなきゃいいのかよ」


300 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/23(木) 21:17:01.90 ID:oI7jiOK60
それに答えず、絃は軽く首を振ってもう一度ラボを見上げた。

そこで彼の瞳が一瞬大きくなる。

肩を掴まれて、絆は振り返った。

「どうした?」

「何かいる。あの窓のところで動くものが見えた」

「野良猫じゃないのか?」

言いながら立ち上がって絃が指差した方向を見上げる。

最上階に当たる部屋の窓。

黒いカーテンが敷き詰められていて中は確認できない。


301 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/23(木) 21:17:45.32 ID:oI7jiOK60
あまりの部屋の惨状に驚き、あそこまでは行っていない。

「……生き残りがいるのかもしれない。絆、行くぞ」

「あ、ああ……」

どもりつつも絃の後につき、絆は悪夢の空間に再び足を踏み入れた。

上階は死亡したトレーナーの仕事場のようだった。

雑然とした部屋。

ホコリが溜まっている奥に、クローゼットのような一角がある。

先ほどの窓は、あの場所だ。絃がそこを無造作に開けた。

途端に、情けないことに絆の腰は、一瞬抜けた。

理解できないことが起こっていた。


302 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/23(木) 21:18:25.52 ID:oI7jiOK60
よろめいて背後の壁に背をつく。

しかし目はそれから離すことが出来なかった。

何もない、クローゼットの中。
狭い空間に全裸のバーリェが一人、鎖でつながれていた。

首と、動けないように手、足。

目には目隠しがされている。

まるで事切れているかのように俯いていたが、
体が時折かすかに痙攣していた。

絃も言葉を失い、数秒間停止する。
しかしいち早く立ち直り、彼は呆然としている絆に向かって声を張り上げた。


303 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/23(木) 21:19:13.79 ID:oI7jiOK60
「何してんだ! この子、まだ生きてるぞ。銃を貸せ、早く!」

こみ上げてくる嗚咽感を押し殺し、
震える手で絃にハンドガンを渡す。

彼は銃口をハンカチでくるみ、鎖に当てると何回か引き金を引いた。

重い衝撃と共に少女が解放され、床に力なく転がる。

銃声がしたというのに彼女には反応がなかった。

慌てて転がるようにして駆け寄り、絆はそのバーリェを抱き上げた。

軽い。
信じられないほど。


304 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/23(木) 21:19:53.35 ID:oI7jiOK60
「だ、大丈夫か? 気づいてたら何か言え。俺たちは敵じゃない」

喉の奥が震えている。

彼女の目隠しをむしりとると、奥から光がなくなった灰色の瞳が表れた。

バサバサの金髪がより無残さを際立たせている。

「……あ……」

大分経ってバーリェが口を開けた。

「よかった。絆、そろそろ応援が到着する頃だ。早く外に連れ出すぞ」

「分かった。もう少し我慢し……」

「ご主人さま……」

かすれて消えそうな声。

立ち上がろうとした瞬間、
少女が発した声に二人は心底ゾッとして同時に立ち止まった。


305 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/23(木) 21:22:28.76 ID:oI7jiOK60
「お帰りなさ……」

感情のない、機械のような声だった。

オウムとでも言えばいいだろうか。

希望も、未来も、現在もそれさえない声。

何もない、空っぽだ。

一瞬それが信じられないくらい恐ろしくなったのだ。

だが数瞬後、追って感じたのは火のような『怒り』だった。

雪を蹴り飛ばしたあいつが、あの時に持って行ったバーリェ。

あの瞳と同じ。
何もないガラス玉。


306 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/23(木) 21:23:13.78 ID:oI7jiOK60
……そんなことが許されるのか。

──ヒトじゃない

絃の声が頭の中にこだまする。

ヒトじゃない? 
だから、だから何だって言うんだ。

少なくとも手の中のモノは、
目も、口も、鼻も、耳もある。

動いている。
喋っている。

それだけじゃダメなのか。


307 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/23(木) 21:23:47.80 ID:oI7jiOK60
どうしてこんなに酷いことができるんだ。

歯を噛み締め、少女の目にそっと手を当て、つぶらせる。

そして絆は大きく息を吸って、彼女の耳に囁いた。

「帰ろう。家に帰ろう」

絃が何かを言いたそうに口を開く。

だが彼は思いなおしてすぐに言葉を飲み込んだ。


308 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/23(木) 21:24:31.94 ID:oI7jiOK60


「……本当にあのバーリェを引き取られるんですか?」

エフェッサーのバーリェ生産工場担当職員から
不思議そうな声を投げかけられ、
絆は答えずに、
無菌室のベッドに横たわっている金髪のバーリェに目をやった。

死亡したバーリェの体は、本来は火葬されるでもなく分解され、
新しい彼女達の体を構築するために再利用される。

心が壊れてしまったものも同様だ。

心がなければ、生体エネルギーを発することが出来ない。


309 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/23(木) 21:25:16.23 ID:oI7jiOK60
あの地獄のラボから救出した少女も、
最初はリサイクルに出されるものとばかり周りには思われていた。

絃でさえも。

しかし絆は、無理矢理に引き取るとそれを通したのだ。

理由はなかった。

死んだバーリェたちについて一切言及せず、黙殺し、
違反を犯したトレーナーについての調査を優先させる元老院や同僚たちへの、
収まらない怒りの感情をあてつけたかっただけかもしれない。


310 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/23(木) 21:25:55.00 ID:oI7jiOK60
だが、何となく……本当にただ何となく。

絆は胸が苦しくなったのだ。

古い文献から引用すれば『切なくなった』という感情の動きを言うのだろうか。

良く分からなかったが、彼女を見て見ぬふりをするのが、
自分にとって更に滞る怒りの感情を誘発しそうに思えたのだ。

「構いません。意識野を初期化して、まっさらな状態にもどしてくださればいい」

大分経ってそう返すと、職員は慌てて口を開いた。


311 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/23(木) 21:26:52.32 ID:oI7jiOK60
「し、しかし……絆様ほどのトレーナーでしたら、
私ども全員でよりハイレベルな新型をお渡しできますが
……このバーリェは、その……汚れています」

控えめに彼が言う。一瞬カチンと来たが、絆は息を吸って答えた。

「綺麗じゃないですか」

「い、いえ……しかし……無理矢理に意識野の調整を行うと、
幼児退行化してしまいますが。それでもよろしいのですか?」

それを聞いた時、
一瞬ラボで見せたあのバーリェの空っぽの瞳が脳裏に浮かんだ。

「……構いません。あとの調整は、俺が日常生活の中で施していきます」

どうにも理解できない、と言った顔で職員がため息をつく。

絆はそれを見ないふりをして、部屋を後にした。



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