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少女「それは儚く消える雪のように」
- 454 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]
投稿日:2012/02/25(土) 17:01:50.65 ID:bDf9OSPn0
*
悲鳴。それを聞きながら絆は軽くため息をついた。
命が優に、プールに突き落とされた音。
泳げない命は足がつく深さなのにばたばたと水を撒き散らしている。
「助け……絆さん? 絆さん!」
それを見ながらプールサイドで爆笑している優と愛に視線を移動させ、
絆は軽く頭を掻いた。
自分のバーリェながら、酷い。
急いでプールまで走っていき、飛び込む。
そしてもがいている命を抱えて軽々とプールから上がった。
- 455 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:02:49.04 ID:bDf9OSPn0
文が心配そうに近づいてくる。
止めたのだろうが、彼女は泳ぐのは初めてだ。
助けに行こうか行くまいか迷っていたのだろう。
荒く咳をつきながら、
プールサイドに救出された命は完全に泣いていた。
目を真っ赤にして優をにらんでいる。
さすがに恐怖を感じたらしく、
愛と優は先を争うようにプールに飛び込んでいった。
二人とも、泳ぐのは初めてだ。
しかし驚くほど綺麗なフォームで着水する。
- 456 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:04:16.39 ID:bDf9OSPn0
そのまますいすいと競争を始めたのを見て、
絆は内心舌を巻いていた。
バーリェは生まれつき、このような運動能力をある程度は
プログラムされて製造される。
実のところ、自由に泳がせるためにプールに連れてきたのは
初めてのことなので、このように軽々と泳ぎ始めるとは
全く思っていなかったのだ。
今までに泳がせたことがあるのは命一人だけ。
しかも彼女はしょっぱなから完全に溺れてしまい、
水が嫌いであることが発覚した。
いくら個人差があるバーリェだといってもこんなことは初めてだ。
- 457 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:04:56.08 ID:bDf9OSPn0
愛と競争している優を
戸惑ったように見つめている文の背中を、軽く押す。
「大丈夫だ。お前もすぐに泳げるよ」
そう言ってやると、彼女はにっこりと笑ってプールに向けて走り出した。
そして姉と全く同じフォームで綺麗に飛び込む。
それを見て、目を赤くした命が傍目で分かるほど明らかに肩を落とした。
「……どうせ私はノロマですよ」
いじけたように呟く少女の黒髪をゴシゴシと撫でて軽く笑う。
「いや……まぁ、バーリェにも個人差があるさ。
あいつらにはお前みたいに料理は作れないだろ?」
- 458 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:05:41.29 ID:bDf9OSPn0
実際、そんなに運動能力について個人差はないはずなのだが、
そう言っておく。
命は少し表情を明るくしたが、
もうプールには近づきたくないらしく、
ぴったりと絆の腕に張り付いていた。
少し離れた、芝生が広がっているエリアに彼女を連れて歩き出す。
ここは軍関係者が休暇に使うレクリエーション施設の一つだった。
天井がスクリーン形式になっていて、
年中真夏のような人工の太陽光が照射されている。
日差しがきついらしく、パラソルを立てて作った日陰に、
雪は静かに座っていた。
他の子は急遽本部から取り寄せた水着を着せているが、
彼女だけいつも通りの
……いや、朝に寒い気がするといっていたので少しばかり厚着の状態だ。
- 459 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:06:38.66 ID:bDf9OSPn0
大きなタオルで丹念に髪を拭きながら命が雪の隣に座る。
「雪ちゃん、気分はどう?」
「うん。命ちゃんは泳がないの?」
「私は水は……ちょっと」
困ったように笑う命。
雪も微笑み返して、見えない目をプールのほうに向けた。
ここは貸切状態なので、自分達以外には誰もいない。
「でも水は、何だか小さいころを思い出すから私もやだな」
ポツリと雪が呟いた。
「小さいころ?」
聞き返すと、命も頷いて絆の顔を見上げた。その隣に腰を下ろす。
- 460 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:07:27.61 ID:bDf9OSPn0
「はい。私たちが人工羊水の中に入っていた頃です」
そんなことをバーリェの口から聞くのは初めてのことだった。
驚いて思わず息が詰まる。
「な、何だって?」
「え? 絆は覚えてないの?」
問いかけると、逆に、ものすごく意外そうに雪がそう問い返してきた。
命の方を見ると同じようにきょとんとした顔をしている。
「覚えてないというか……俺のはもう二十年以上前の話だ。
普通は覚えてないぞ」
困ったように雪と命が顔を見合わせる。
少しして、命がためらいがちに口を開いた。
- 461 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:08:08.68 ID:bDf9OSPn0
「暗くて、息が出来ない場所です。
私たちみんなそこの一つから生み出されました」
「あそこ、静かで冷たいから嫌いだった」
二人とも表情を落として口に出す。
人工羊水というのは、
バーリェが細胞の状態から今の大きさまで成長させられる、
人工的に作られた子宮の、内部に満たされた細胞液のことだ。
つまるところ、人間大の試験管。
バーリェの生産工場に行くとそれが何百何千と、
気の遠くなるほどずらりと並んでいる。
それは、今の人間についてもシステムは同じだった。
細胞から培養されるわけではないが、
精子と卵子を掛け合わせて病院で造られる。
本質的にはバーリェとあまり変わりはない。
- 462 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:08:58.01 ID:bDf9OSPn0
しかし、バーリェ一人一人が全て、
自分が人工羊水に入っている間の記憶を保有しているというのは
初めて知る事実だった。
おそらく、他のトレーナーも知らないだろう。
「愛とかも、覚えてるのか?」
そう聞くと、屈託なく二人は頷いた。
「怖かったけど、気づいたら絆が私の傍にいた」
「私もですよ」
二人が笑う。
戸惑ったように笑い返し、
彼女達の頭を撫でるが同時に絆は心のどこかで戦慄を感じていた。
- 463 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:12:52.35 ID:bDf9OSPn0
今まで考えたこともなかったような、事実だった。
バーリェの記憶能力はすさまじい。
AADを動かすためには相当な知能指数が必要だからだ。
それはもう、生まれた瞬間にかけられた言葉さえも覚えている。
しかし生まれる
……つまり試験管から排出される前にも自我があるということは。
つまり、生まれてこなかったバーリェ全員にも、
自我があるということ。
一ヶ月に一つの工場から出荷される個体は、
多くても五十。
それ以上出されても、
トレーナー各員が管理することは出来ない。
- 464 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:14:07.34 ID:bDf9OSPn0
単純計算で行くと、解体、リサイクルされる個体は、その何倍。
──知らなかった。
体の芯が冷える感触。
何故か分からないが、どこかが恐ろしくなったのだ。
何が怖いというのだろう。
分からない。
だが、今目の前で笑って、はしゃいでいるバーリェたち。
この子達は選ばれた、特別な個体であることは分かっていた。
分かっていたが……理解をしていなかったんだと自覚したのだ。
- 465 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:14:46.00 ID:bDf9OSPn0
「絆さん?」
青年の動揺を察したのか、命が心配そうに呼びかけてくる。
絆はハッとして今しがたの考えを静かに胸の奥に押し留めた。
そんなことを今、自分が考えてもどうなるものでもない。
この子達に教えても、何がどうなるものでもない。
「……そっか。まぁ泳ぎたくなければ無理に泳がなければいい。
ここはあったかいからな。のんびりしてろ。何か食べるか?」
「暑いからソフトクリームが食べたいです」
即座に命が返してくる。
休暇だ、と言っていた為にいつもよりふてぶてしいように感じるのが
……妙におかしい。
- 466 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:15:33.79 ID:bDf9OSPn0
「ああ。持ってきてやるよ。雪は何かいらないか?」
今日くらいはいいだろう。
そう思って聞くと、雪は軽く首を振った。
「私は……ここにいるだけでいいよ?」
「いいのか?」
問い返したところで、何かが走ってくる気配を感じて振り向く。
途端に芝生を蹴って、愛が勢いよく絆の腹に頭部から飛び込んだ。
モロにみぞおちに入ってそのまま倒れこむ。
「絆、アイス食べたい」
出し抜けに言われて、
息が詰まったままの青年は目を白黒させながら
小柄な少女を両手で持ち上げた。
- 467 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:16:09.33 ID:bDf9OSPn0
「……お前な……」
小さく咳をして立ち上がる。
命がそれを目を丸くして見ていた。
「絆さんって強い……」
小さい呟きが聴こえる。
愛を降ろし、じりじり痛むみぞおちをさすりながらプールの方を見る。
さっきまであんなに怖がっていたのに、文はもうすいすい泳いでいた。
優はというと、いない。
見回すと丁度飛び込み台の頂上に昇っている少女の姿が見えた。
- 468 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:16:48.60 ID:bDf9OSPn0
一瞬血の気が引いて大声を上げる。
「おい優何やってんだ! 危ないぞ!」
走り出そうとしたところで、彼女が飛び降りた。
息が詰まる。
しかし小さな少女はそのまま綺麗に
伸ばした手先を下にして着水した。
数秒して浮かび上がり、楽しそうに手を振っている。
大きくため息をついて額を抑える。
元気なバーリェだとは思っていたが、ここまでとは。
- 469 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:17:35.99 ID:bDf9OSPn0
「おー、ゆう凄い」
素直に感嘆符を口に出し、しかしすぐに愛は絆の方を向いた。
「絆、アイス」
「……分かった。じゃあ今から一緒に買いに行くか」
「うんっ」
嬉しそうに頷く愛。絆は座っている二人の方を向いて口を開いた。
「じゃあ少しはずすから、
あの二人が無茶しないように気をつけててくれ」
「はい」
「分かったよ」
頷いたのを確認して、耐水性のジャージ上下を着込む。
さすがに競泳水着一つでは外に出れない。
愛にも同じものを着せて、手を繋いで部屋の外に向けて歩き出す。
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