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少女「それは儚く消える雪のように」
- 470 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]
投稿日:2012/02/25(土) 17:18:26.57 ID:bDf9OSPn0
*
部屋の外に出ると、白い通路が続いている。
基本的に同じような部屋が両脇の壁にずらりと並んでいる。
この辺りはトレーナーなどのVIP待遇を受ける
役職の者が使用するエリアだが、
いくつか自分達のように使われているところもあった。
食用品を購入できる場所は階下にある。
ポタポタと水滴を垂らしている愛の金髪を
持ってきたタオルで拭いてやりながら、絆は廊下を歩き出した。
「泳いで気持ち悪くとかなってないか?」
「どうして? 気持ちいいよー」
屈託ない笑顔を向けられ、絆は思わず目をそらした。
そのまま前を向いて軽く笑い返す。
- 471 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:19:11.99 ID:bDf9OSPn0
「……そうか」
この子も、生まれた時のことを覚えているのだろうか。
……いや、それはない。
二年以上前の記憶は完全に消されているはずだ。
覚えているはずはないんだ。
仮に……覚えているとしたら。
――もしかしたら、何もかも記憶は消えていないんじゃないだろうか。
ふと、そんなことを思ってしまった臆病な自分がどことなく嫌になる。
何を考えているんだ、俺は……と、軽く息をついて少女の手を引く。
- 472 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:19:51.10 ID:bDf9OSPn0
怖がっているのは他の誰でもない。
多分自分だ。
あの記憶を、誰よりも怖がっているのは、
多分他でもない絆自身なのだ。
動かなくなったバーリェの山。
鎖に家畜のように繋がれた少女の姿。
忘れたくても忘れることなんて出来ない。
だから、この心のどこかから来る恐慌の気分は
おそらく自分のものなのだ。
- 473 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:20:37.12 ID:bDf9OSPn0
階下に下りるためにエレベーターに乗り込む。
愛はよほど絆と一緒にいることが嬉しいらしく、
隠すそぶりもなく彼の腕に抱きついていた。
そのまま肩に猿のようにのぼり、ぶらぶらと宙に揺れている。
雪のように穏やかで静かでもなければ、
命、優や文のようにことあるごとに自己主張したりもしない。
ただその場その場が嬉しければ、それでいい。そんな子だ。
それが正しいかどうかなんて絆には分からなかった。
しかし、ただ言えることは
この子は他のバーリェと別の部分が確かにあるが
……やはり同一の存在だということだった。
- 474 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:21:18.53 ID:bDf9OSPn0
多分、触れないと分からない。
目の前で感じてみないと分からない。
暖かさの確認というのだろうか。
理屈で説明することなんて出来ないが、そう思うのだ。
「絆」
扉が閉まったとき、唐突に愛が口を開いた。
「ん? どうした?」
「絆と遊ぶの、初めて」
端的に言われて一瞬きょとんとする。
そしてエレベーターが動き出した時、
彼はその言葉の意味を理解した。
- 475 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:22:02.21 ID:bDf9OSPn0
濡れた少女の金髪を撫でつけ、それに答える。
「ああ……そういえば、そうだな」
「絆はたのしくない?」
──楽しいか
瞬間には答えることが出来なかった。
これは、仕事だ。トレーナーとしての仕事だ。
他でもないこの子の精神を安定させるために用意した舞台だ。
根幹的な要因はそこにあるし、
実際そんなに深く考えているわけでもなかった。
首をかしげた少女を見下ろし、絆は息をついて静かに言った。
「楽しいよ。お前と遊びに来るのは、初めてだからな」
- 476 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:22:40.93 ID:bDf9OSPn0
「あはは。後でいっしょに泳ごう」
「分かった分かった。ほら、肩から降りろ」
軽い少女の体を持ち上げて床に下ろす。
そこでエレベーターが停止し、扉が開いた。
しかし足を踏み出そうとして、反射的にその場に停止する。
勢いよく飛び出した愛は
頭から目の前に立っていた男性にぶつかった。
そのまま跳ね返されるようによろめく。
とっさに彼女を抱きかかえて、さりげなく背後に移動させる。
- 477 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:23:24.44 ID:bDf9OSPn0
状況を理解していない愛を庇う形で、
絆は抑揚のない威嚇の視線を前に向けた。
エレベーターの前には、
間が悪いことに軍部の兵士が六……七人待っていた。
いずれも若い。
そして全員が、愛を見た瞬間にまるで汚物を見るような
嫌悪感をあらわにした表情になったのだ。
そのまま数秒間にらみ合い、絆は愛の手をしっかりと握った。
相手は七人。ここで騒ぎを起こすのは得策ではない。
基本的に軍の人間は、バーリェを憎んでいる。
人ではない、人の形をした動く『動物』に
自分達が劣っているのだという劣等感を常に抱いている。
- 478 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:24:06.48 ID:bDf9OSPn0
それもそうだ。
軍の人間は、バーリェのエネルギーチャージのために
囮や捨石にされることが多く、扱いは当然エフェッサー関連よりも低い。
軍がバーリェをどう呼んでいるか。
通称は、犬だ。
油断していたがここは軍の施設。
一般兵士がいても不思議ではない。
……無視するに限る。
そう決め、愛の手を引いてエレベーターから出ようとする。
途端に一人が、締まりかけたドアに手をかけて前に立ちふさがった。
- 479 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:24:49.94 ID:bDf9OSPn0
「トレーナー様じゃありませんか。こんな場所にどうして?」
ぶしつけに質問され、絆は冷たく相手を見上げた。
トレーナーになってから、
こういうことは殆ど日常的なものになっていた。
気に入らないからと、どうにもならないからと、
それでも軍の人間は相手に干渉しようとする。
人間というのは、自分の命がかかっていると
途端に醜い本性を出すものだ。
自分達の兵器は効かないのに、
死星獣との戦闘では前線に出せられ、
相手を駆逐できるバーリェは後方。
──理解できる。面白いはずがない。
だが、そんなことは俺には関係のないことだ。
- 480 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:25:32.18 ID:bDf9OSPn0
「どけてもらおう。貴様らにはなんら関与する権利がない話だ」
鉄のように抑揚なく言い放つと、七人の兵士が一様に表情を歪めた。
それを見て、笑顔だった愛の表情が引きつる。
途端に体をすくめて絆の後ろに隠れた少女を見て、
青年の言葉を無視して兵士の一人が口を開いた。
「休暇に女のガキ連れてきてご満悦とは、トレーナー様々だなぁ」
「……どけと言っている」
頭に血が昇った。
冷静な表情のまま、言葉を発した兵士に向かって左手を伸ばす。
間髪を入れずに絆はそいつの胸倉を引き込んで足を払い、
重心を崩しがてら廊下に投げとばした。
- 481 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:26:13.56 ID:bDf9OSPn0
頭から倒れこんだ兵士が、
綺麗に気絶したのか小さくうめいて動かなくなる。
トレーナーの思わぬ早業に、他の兵士達の動きが停止した。
絆は、こいつらが嫌いだった。
トレーナー関連……つまりエフェッサーになれるのは、
社会でも『上層』の者達だ。
遺伝的にレベルが高い人間。
それが主に、この社会では政府の役人など、
重要なポストにつくことが圧倒的に多い。
絆もそうだ。遺伝的なランクはAAに属する。
しかし、この兵士達は違う。
Bか、それ以下。
上層ではない者たちがつくものだ。
- 482 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:26:59.05 ID:bDf9OSPn0
別に差別主義者というわけではない。
そんなことどうだって良かったし、
気にしたところで自分自身の何が変わるわけでもない。
しかし軍は違った。
一方的な劣等感を抱き、一方的な敵対感情を抱いてくる。
そうしなければ、社会的、
遺伝的な不利を忘れることが出来ないのだということは分かる。
だが、それにいちいち相手をしていられるほど、
絆は強くも弱くもなかった。
無駄口を叩くのを止め、
兵士達の目が猫のように瞳孔拡大の様相を呈する。
「貴様らの行動は、軍令第三十五条二十八に触れているはずだ。
ここでその場をどくなら、軍部に報告はしない。
いちいち私も暇ではないのだからな」
- 483 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:27:37.41 ID:bDf9OSPn0
同レベルに下がる気もなく、淡々と言い放つ。
しばらく迷っていたが、兵士達は倒れている一人を無理やりに起こして、
絆から視線をそらした。
それを確認して、硬直している愛の手を強く引き、
足早にその場を後にしようとする。
「……人間まがいの化け物が」
その時だった。吐き捨てるように兵士の一人がそう呟いたのを聞き、
絆は弾かれたように振り返った。
それと間髪をいれずに、エレベーターが音を立てて閉まる。
彼らが乗り込んだ音だった。
頭の中が妙に熱かった。
エレベーターののっぺりとした扉をにらみつける。
- 484 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:28:20.25 ID:bDf9OSPn0
「絆……?」
そこで愛が戸惑ったように震える声を発した。
ハッとして、彼女の手を強く握り締めていたことに気づき、
それを離す。
「あ……いや。気にすんな。変なことに時間とっちまったな」
息をついて歩き出す。しかし愛はその場に停止したままだった。
振り返って怪訝そうに、青年は少女を見つめた。
「どうした?」
「わたしって、絆とちがうの?」
問いかけられて、息が詰まった。
バーリェにとって、
『人間』という単語はトレーナーそのものに位置する。
- 485 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:29:07.35 ID:bDf9OSPn0
自分のマスターたる者が世界の中心であり、
それを核に存在しているバーリェにとって、
時に人との言語認識には微妙な差異が生じることがあった。
最後の罵倒が、自分に投げつけられたことだというのを
この子は本能的に理解していたのだ。
答えられずに数秒間を置く。
しかし愛は、絆が言葉を発しようとしたのに被せるように、
照れるように笑った。
「あの人たち……きらい。また会うの嫌だから、早くいこ」
- 486 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:29:42.41 ID:bDf9OSPn0
そして早足で絆の手を引いて歩き出す。
息を吐いて、それに続く。
不意に先ほど兵士を掴んで投げた手に痛みが走り、
絆は少女が掴んでいる方と反対側の手に視線を落とした。
気づかなかったが、小指を僅かにひねってしまっていたらしい。
ニ、三回曲げて、青年は小さくため息をついた。
- 487 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:35:59.58 ID:bDf9OSPn0
*
全員分の飲み物や冷物を買って、
部屋に戻った時には意外に時間はかかっていなかったらしく、
まだ優と……文まで加わって飛び込台から次々に落下している
最中の光景が目に飛び込んできた。
命と雪は、少し離れたプールサイドに腰掛け、
くるぶしくらいまでを水に浸している。
命は何でもないような自分の好きなものの話をするのが好きだ。
眼の見えない雪にとってそれを聴くのは、多分楽しいんだろう。
- 488 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:36:50.00 ID:bDf9OSPn0
少しすれば飽きるだろう、とパラソルのところに愛と一緒に戻る。
持ってきたクーラーボックスにジュースの缶などを突っ込んで、
絆はその場に腰を下ろした。
愛はというと、戻る途中からかぶりついていた
特大のソフトクリームをまだ舐めている。
「お前も飛び込んできたらどうだ?
腹から落ちると痛いから、気をつけろよ」
そう呼びかけると、意外なことに愛は軽く首を振って
絆の隣に腰を下ろした。
そして体を移動させ、青年の足の間に腰を下ろす。
椅子のように体を預けられ、
絆は少しばかり戸惑ったが苦笑して少女の体を支えた。
- 489 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:38:06.06 ID:bDf9OSPn0
「どうした?」
「……わたしだけの、絆」
聴こえるか聴こえないかの、本当に小さな声だった。
「一分くらい、このままでいたい」
愛にしては小さな声だった。
どうすればいいのかはよく分からなかった。
だが、何となく少女の肩に手を回し、軽く抱いてやる。
冷たいソフトクリームを食べているせいかもしれない。
先ほど、軍部の人間に罵倒されたせいかもしれない。
愛の体はどことなく冷たかった。
- 490 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:38:57.46 ID:bDf9OSPn0
「……気にすんな。お前と俺は、同じだよ」
大分経ってから絆は小さく、彼女に囁いた。
「……同じ?」
目の前でソフトクリームが溶けて、
流れていくのをぼんやりと見つめながら少女が答える。
「ああ。俺の心臓の音が聞こえるか?」
胸が少女の背中についている。愛はかすかに頷いた。
「お前の、自分の心臓の音は聞こえるか?」
もう一度少女が頷く。
「…………それでいいと、俺は思うぞ?」
上手く言葉にすることが出来なかった。
何かを言おうとして失敗した、という表現の方が近いかもしれない。
- 491 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:39:32.95 ID:bDf9OSPn0
ただ本当に、それだけで充分じゃないかと。
そう思っただけだったのだ。
「……ときどき、怖くなるんだ」
ポツリと愛は言った。
「絆が絆じゃなくなる気がして。
わたしがわたしじゃなくなる気がして
……何だか、よくわかんないけど……怖くなる」
「…………」
「ここにいないような気がする」
淡々と、金髪のバーリェは呟いた。
いつも元気で、何も考えていないように思っていた子。
彼女のそんな顔を見たことがなかった。
ぼんやりとした不安を恐れているような、そんな顔だった。
- 492 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/02/25(土) 17:40:04.98 ID:bDf9OSPn0
「でも絆といると、あんしんする」
「……そうか」
「絆のこと、好きだから」
幾度となくバーリェから聴いてきたそのセリフを、
絆は愛から初めて聴いた。
小さな頭を軽く腕で抱いてやる。
「大丈夫だ。俺も、お前のことは好きだ」
「うん」
かすれた声で答えて、愛は指に流れてきた溶けた
ソフトクリームを見つめ、そして舐めた。
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