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少女「それは儚く消える雪のように」
- 897 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]
投稿日:2012/03/16(金) 19:19:30.27 ID:+JFYchrD0
4.小春色の叫び
花が咲いていた。
ピンク色の花びらが舞い散っていた。
バイオ技術で管理された自然の中、灰色の空の下。
その花は、ただひっそりと咲いていた。
排気ガス臭い空気がなびき、また花びらが散った。
それは整備されたコンクリートの地面に落ちると、
静かに横たわった。
そしてひときわ強い風が吹いて、
どこかに消えていってしまった。
俺は、またひらひらと落ちてきた花びらを手で掴んだ。
手の中で僅かに震えるそれをくしゃりと握りつぶし、
風の中に放る。
- 898 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/16(金) 19:20:11.39 ID:+JFYchrD0
――声が、聞こえた気がした。
幸せな声が。
楽しそうな声が。
しかし、振り返った先には何もなかった。
ただ漫然としたピンク色の花びらが舞っているだけだった。
過ぎ去った日。
過ぎ去ってしまった日。
もう戻らない日々。
もう返らない日々。
しかし、去年と、その前と同じようにこの花だけは咲いた。
憔悴した目で、周りを見回す。
- 899 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/16(金) 19:20:49.64 ID:+JFYchrD0
くすんだ視界に映るのは、何もない、
ただ花が咲き乱れる空間。
そして一本の樹の根元に、ひっそりとたたずんでいる、
一抱えほどの石だった。
そこに近づいて、俺は石に粗雑に彫られている
「名前」の一つを見た。
それを指でなぞる。
自然と、涙が出た。
何故泣いているのか、何が悲しいのか。
この期に及んでも俺はまだ、良く分からなかった。
分からなかったが。
悲しかった。
苦しかった。
- 900 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/16(金) 19:21:23.06 ID:+JFYchrD0
手を伸ばして、樹から花がついた枝を一本折り取る。
そして俺は、そっと石の前にそれを置いた。
両手で頭を抱えて、俺は泣きながら石の前に膝をついた。
もう戻らない日々。
もう返らない日々。
ピンク色の花びらが舞っている。
風が吹いた。
俺の苦しみなどを知らないかのように、風はただ吹いて。
そしてただ、漫然と花びらは舞っていた。
- 901 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/16(金) 19:22:15.80 ID:+JFYchrD0
*
絃と知り合ったのは、トレーナーになって
間もない頃のことだった。
一人目のバーリェ、涙と名づけたその子を、
当時としては原因不明の病気で亡くした後、
別のバーリェを受け取りに軍病院に行った時のことだった。
「やあ新入りか。あの精神科学においた
薬物論文を書いた秀才だな」
休憩室でコーヒーを飲んでいたところ、
突然声を掛けられ、絆は慌てて振り返った。
その後ろで、絆よりも少し年上だと思われる男が、
温かいココアをすすりながら、
壁に寄りかかってまた口を開いた。
「確か……絆とか言ったか。はは、おかしな名前だ」
- 902 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/16(金) 19:22:56.09 ID:+JFYchrD0
いきなり声を掛けられ、そして名前を馬鹿にされた。
いい気持ちはしなかったが、特にその時の絆は
何を感じるわけでもなく、機械的に彼の方を向いて言った。
「何か用か? こっちは特に用はないが」
同じトレーナーだということは分かる。
このエリアを行き来できるのは、トレーナーだけだからだ。
彼はココアをまたすすると、手を伸ばしてきた。
「絃だ。君と同じ、トレーナーをしてる」
握手を求められたということが分からず、きょとんとする。
絃は絆の手を無理やりに握ると、何度か上下させて離した。
「よろしく。でも駄目だな……基本的なコミュニケーションが
出来ていない。やっぱり君か。
バーリェを衰弱死させたっていう新米は」
- 903 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/16(金) 19:23:49.89 ID:+JFYchrD0
図星を突かれて、絆は返す言葉に詰まった。
そしてしばらくしてから彼に問い返す。
「どうしてそれを知ってる?」
「トレーナーは、お互いの情報を知ることができる。
ネットを通じてな。まぁ……俺くらいしか利用はしないが。
知らなかったか?
君の論文も、トレーナー権限でアクセスした
ネットで読ませてもらった」
「…………」
「論文は素晴らしかったが、まぁ机上の空論だな。
現に、君の書いた通りにバーリェは育たなかっただろう?」
何だこいつ、と思って絆はそこではじめて顔をしかめた。
いきなり初対面なのに
論文の批評をされて気分がいいわけがない。
- 904 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/16(金) 19:24:33.98 ID:+JFYchrD0
それに、彼の言うとおりに、
原因不明のままバーリェを亡くした直後なのだ。
からかうように言われて、面白くはなかった。
「あれは……あのバーリェが番外個体だったから……」
しかし返す言葉として出てきたのは、
自信がなさそうな尻すぼみの言葉だった。
絃はココアを飲みきると、
紙コップをダストシュートに投げ入れて絆の方を見た。
「番外個体? そんな記述はどこにもなかったが」
「…………」
「嘘はいけないな。君は、『健康状態が良好な普通の』
バーリェを衰弱死させた。極めて稀な例だが、
初めてではない。違うか?」
「…………」
- 905 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/16(金) 19:25:17.37 ID:+JFYchrD0
「少しそれに興味があってな。
どうやって殺したのかと思って、話を聞きたかった」
懐からカードを取り出して自動販売機に突っ込み、
絃はまたココアのボタンを押した。
「どうやって……『殺した』?」
言葉を繰り返した絆に、絃は頷いて言った。
「ああ。殺したんだろ?」
「違う。原因は不明だが、あの子は何らかの
病気にかかっていた。前例があまりない病気だ。
その点では番外個体だったと言える。それが原因で……」
「いいや。あえてその感情を言葉で
言い表すとすれば『愛(あい)』だ」
おかしな単語を口走って、
絃は、出てきたココアの紙コップを取り出した。
- 906 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/16(金) 19:26:11.18 ID:+JFYchrD0
「愛……?」
聞いたことはある、というだけの知識だったが
繰り返して絆はそれを鼻で笑った。
「何を言うかと思えば……
それは単なる感情であって、病名ではない」
「今の君じゃ分からないだけだ。
トレーナーを続けてれば、
嫌でも分からざるを得なくなる」
ココアをすすって壁に寄りかかり、絃は続けた。
「愛を断つことでも、バーリェは死ぬ。
脆いんだ。それがたとえ感情論だったとても、
感情論であの子達は死ぬ。君はそのさじ加減を間違った。
だから『原因不明』のまま、
君のバーリェは衰弱死したんだ」
「言っている意味が……良く分からないが」
- 907 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/16(金) 19:26:47.98 ID:+JFYchrD0
絆はコーヒーを飲み干してカップを
ストシュートに投げ入れてから立ち上がった。
「話は終わりか? 俺は帰らせてもらうとする」
「まぁ待てよ。そんなに急ぐこともないだろう。
どうせラボに戻っても誰もいないんだ」
「さっきから何を言いたい?
苦情や苦言なら、上層部を通して……」
「また原因不明のままバーリェを殺したくはないだろう?
教えてやるよ。基本的なこと。知りたくはないか?
どうして君のバーリェが死んだのか。
俺は、その答えを知ってる」
絃はそう言って、軽く口の端を吊り上げて笑った。
「まぁ、漠然とだけどな」
- 908 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/16(金) 19:27:31.13 ID:+JFYchrD0
*
遠くで火柱が上がる。
ミサイルが着弾した印だ。
機関銃が乱射される音が響く。
絆は唖然としてその光景を見つめていた。
「何、だ……これ……」
悲鳴。
絶叫。
断末魔。
阿鼻叫喚の地獄絵図だった。
- 909 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/16(金) 19:28:13.01 ID:+JFYchrD0
エフェッサー本部のオペレーティングルームに通されて、
絆は目の前に広がるモニターに映し出された光景に、
ただひたすら唖然としていた。
逃げようとした人間を、
軍用戦闘機が発射したミサイルが吹き飛ばす。
びしゃびしゃになった人間だった残骸が、
地面にぶちまけられる。
カメラが汚れたのか、モニターに映し出されている
映像の一部が赤く染まった。
それを淡々とした目で見つめている駈と、
在席していたトレーナー達を見回し、
絆はしかし言葉を発することが出来ずに、唾を飲み込んだ。
「…………」
絆を支えていた渚の手が震えていた。
- 910 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/16(金) 19:28:50.32 ID:+JFYchrD0
「……酷い……」
渚が、絆にだけ聞こえた小さな声で呟く。
それにハッとして、絆は松葉杖を鳴らしながら、
ギプスを嵌められた足を引きずって駈に詰め寄った。
「何をしてる! やめさせろ!」
突然怒声を上げた絆に、周囲の視線が集中する。
しかし駈はサングラスの奥の瞳を、
特に感慨も沸かなそうに光らせながら、
絆に淡々と返した。
「何をだ?」
「軍が……軍が……!」
言葉にならなかった。
現場のカメラから、そのまま無修正の映像が送られてくる。
- 911 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/16(金) 19:29:29.17 ID:+JFYchrD0
子供と思われる人影が、機関銃の一斉発射を
受けてボロキレのようになり
地面に崩れ落ちるのが見えた。
「攻撃しているのは、ここから一番近いスラム街だ。
問題はない。軍に対して口出しをする義理はない」
駈が静かに言う。
口元を抑えて、
渚が俯いてオペレーティングルームを出て行った。
クランベの故郷はスラム街だ。
渚を初めとして、エフェッサーの本部、
ここには多くのクランベがいる。
絆は足と奥歯の痛みに脂汗を流しながら、
駈に食って掛かった。
- 912 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/16(金) 19:30:13.39 ID:+JFYchrD0
「問題なくないだろう!
こんなの戦闘じゃない、虐殺だ!
今すぐやめさせるべきだ!」
「……君は何を言っているのかね」
呆れた声でそう言って一つため息をつき、
駈はまた視線をモニターに戻した。
「虐殺ではない。粛清だ。
それに仮に攻撃をやめさせたとして、
君が責任を取ってくれるのか?
……もしあの地区に死星獣が眠っていたら」
「責任……?」
絆の体から力が抜けた。
よろめいて壁に背中をつける。
- 913 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/16(金) 19:30:50.70 ID:+JFYchrD0
こいつらは。
こいつらは、同じ人間を殺して。
粛清だとのたまって。
……何も感じないのか?
その事実に唖然として、言葉を失ったのだ。
無論、少し前の絆だったら
何も感じなかったのかもしれない。
しかし絆は、その「何も感じない」と
いうことを通り過ぎて余りありすぎてしまっていた。
「お前ら……おかしいよ……」
絆は、目の前でまた炸裂した、
子供を抱いた母親だと思われる影を見て、
こみあげるものを抑えきれずに、
その場に胃の中のものをぶちまけた。
- 914 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/16(金) 19:31:32.17 ID:+JFYchrD0
「医務室に戻りたまえ。君の体調は万全ではない」
それを感情を映さない瞳で見てから、
駈は傍らの女性職員に清掃員を呼ぶように指示した。
絆は、自分を支えようとした別の女性職員の手を
振り払って、大声を上げた。
「同じ生き物だろ!
どうしてこんなことができるんだ!」
彼の声を聞いて、「その場の全員」がおかしな顔をした。
自分を宇宙人を見るような目で見つめてきた
周りの人々を見て、絆は首を振って後ずさり、
盛大にその場に転がった。
「くっ、来るな……」
彼は明らかに恐怖の色を顔に浮かべながら、
必死に顔の前で手を振った。
- 915 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/16(金) 19:32:20.32 ID:+JFYchrD0
「来るな! 俺に近づくな!
お前らおかしいよ! お前ら狂ってるよ!」
また軍が人間を射殺した。
ほんの三グラムの弾丸で人は死ぬ。
過剰すぎるほどの執拗な攻撃に、
原形をとどめない肉の塊となった
人間が音を立てて倒れる。
「鎮静剤を投与しろ。混乱してる」
駈がそう言って、興味がなさそうに絆から視線を
離し、コーヒーを口にした。
絆はわらわらと集まってきた職員達に
四肢を押さえつけられた。
その目は、どれも感情を宿してはおらず。
絆は強制的に首筋に小さな注射器で鎮静剤を
打ち込まれ、一瞬で黒い意識の奥に落ち込んでいった。
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