■戻る■ 下へ
少女「治療完了、目を覚ますよ」−オリジナル小説
239 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/10/18(木) 10:37:20.15 ID:OB2lhOYj0
おはようございます。



赤十字病院には、全国各地にそれぞれ自殺病の担当医が在籍しています。
担当医は普通4〜5人のマインドスイーパーを管理しています。
殆どが子供です。

大体のマインドスイーパーはB〜Cランクの治療能力を持っています。
その中でもAランクの能力者は珍しく、
赤十字病院には数人しか在籍していません。

日本では、特Aクラスの能力を持つ登録されたマインドスイーパーは、
今のところ汀一人です。

汀は赤十字病院所属ではないので、
彼女と圭介の病院は個人病院ということになります。
闇クリニックのような印象が強いですが、れっきとした正規の病院です。

ちなみに、高畑医院は東京の八王子にあります。

医療界は元老院という老人達が仕切っていて、
その下に赤十字病院理事会があります。



第四話を投稿させて頂きます。
お楽しみいただけましたら幸いです。


240 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/10/18(木) 10:38:20.35 ID:OB2lhOYj0


圭介は、白衣のポケットに手を突っ込んだまま、
病室をゆっくりと見回っていた。

その隣で資料をめくりながら、大河内が重い口を開く。

「こっちの区画は、もう駄目だ。お前の探してる適合者は、見つからないよ」

「駄目って、どの基準で駄目って言ってるんだ?」

問いかけて、圭介は感情の読めない瞳で、近くの病室を覗き込んだ。

ぼんやりと視線を宙に彷徨わせた女の子が、ベッドに横たわっていた。

鼻や喉にチューブが差し込まれ、いくつもの点滴台が設置されている。

「この子は?」

聞かれた大河内は、言葉を飲み込んでから答えた。


241 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/10/18(木) 10:42:33.86 ID:OB2lhOYj0
「……網原汀(あみはらなぎさ)、この病棟の中でも、特に重症な子だよ」

圭介は無造作に病室に足を踏み入れ、女の子に近づいた。

そして顔を覗き込む。

女の子に反応はなかった。

目を開いてはいるが、意識はないらしい。

人形のように顔が整った子だった。

その子の艶がかかった黒髪を撫で、圭介は言った。

「一番安定してるように見える」

「……バカを言うな。左半身と、下半身麻痺にくわえて、
自殺病の第八段階を発症してる。もう長くはないよ」


242 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/10/18(木) 10:43:15.45 ID:OB2lhOYj0
「この子にしよう」

圭介は軽い口調でそう言うと、ポケットから、
金色の液体が入った細い注射器を取り出した。

大河内が目をむいて口を開く。

「おい、高畑……本気か? 一番重症だって、さっき言っただろう。
聞いていなかったのか?」

「狂っていればいるほど好ましい。第八段階? 最高じゃないか。
それで、この子はそのまま何日生きてるんだ?
いや……『生かされて』るんだ?」

「…………」

「答えろよ、大河内」

「…………三十七日だ」


243 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/10/18(木) 10:43:50.66 ID:OB2lhOYj0
「取引をしよう」

圭介はそう言って、女の子の点滴チューブの注入口に、
注射針を差し込んだ。

そして大河内が止める間もなく薬品を流し込む。

「この子をもらっていく。その代わり、お前はこの子の過去を全て消せ」

「GMDが効くかどうかも分からないんだぞ!
それに、もう長くはないと……」

「効くさ。そのために開発されたクスリだ」

淡々とそう言って、圭介はポケットに手を突っ込んだ。

そして背を向けて、病室の出口に向けて歩き出す。

「意識が回復したら、連絡をくれ」


244 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/10/18(木) 10:44:24.74 ID:OB2lhOYj0

★Karte.4 蝶々の鳴く丘で★

汀と小白が目を覚ました時、彼女達は、
ゆっくりと落下しているところだった。

小白がまるでパラシュートのようになって、
落下速度を低減しているのだ。

「猫って凄いねぇ。夢の世界では、私より無敵なんだ」

感心したようにそう呟いて、汀は下を見た。

何かが、草のように、果てしなく続く荒野の中突き立っていた。

真っ赤な夕暮れ景色に、光を反射して煌いている。

それは、日本刀だった。

柄の部分が土に埋まり、ぎらつく刃を上に向けている。


245 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/10/18(木) 10:45:05.85 ID:OB2lhOYj0
「……攻撃性が強すぎるよ」

呆れたように言って、
汀はまだ磔にされている状態の女の子に構うことなく、十字架を下に向けた。

ゆっくりと落下していって、十字架の木が、
日本刀の群れに切り裂かれながら、地面と垂直に着地する。

汀は十字架の上に、器用にしゃがみこんでいた。

ポン、と音がして小白が元の小さな猫に戻る。

猫が右肩にへばりついたのを確認して、
汀は、もう少しで日本刀の群れに串刺しにされそうになっている、
磔られた女の子に声をかけた。

「起きて。ね、起きて。もしかして死んでる?」

手を伸ばしてパシパシと女の子の顔を叩く。


246 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/10/18(木) 10:45:44.07 ID:OB2lhOYj0
「起きて」

「…………ッ!」

そこで意識が覚醒したのか、女の子は激しくえづいた。

グラグラと十字架が揺れる。

その上で器用にバランスを取りながら、汀は面白そうに続けた。

「拷問されたの? ね? どんな感じだった?」

『汀、赤十字のマインドスイーパーを救出したのか?』

マイクの向こうの圭介に問いかけられ、
汀はヘッドセットの位置を直しながら、首をかしげた。

「うーん……助けたというか……助かってないというか……」


247 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/10/18(木) 10:46:19.26 ID:OB2lhOYj0
『どっちだ。はっきりしろ』

「動けないの。刀がいっぱいある」

『その子だけ帰還させることはできるか?』

「異常変質区域の中にいるから、無理だよ」

『なら見捨てて、お前と小白で中枢を探せ』

「…………」

汀はそれに答えず、周囲を見回した。

『汀?』

問いかけられ、汀は刀で体を切らないよう、注意して地面に降り立った。

そして手近な一本を手に取り、周囲の刀をなぎ払う。


248 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/10/18(木) 10:46:54.13 ID:OB2lhOYj0
「連れて帰るよ」

そう言った彼女に、一瞬沈黙してから圭介は言った。

『手負いなんだろう。無理だ。時間も残り少ない』

「だからって、置いていけないよ」

『いいか汀。お前の仕事は何だ?』

汀は少し考え、また近くの刀を、自分が持った日本刀でなぎ払った。

「人を、助けることだよ」

はっきりとそう言う。

圭介はまた少し沈黙してから、言った。


249 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/10/18(木) 10:47:29.23 ID:OB2lhOYj0
『……分かった。なら好きにしろ』

「好きにするよ?」

『ああ。でも、危ないと思ったらすぐに見捨てて中枢を探せ』

「もう危ない状況なんだけど……まあいいや」

ボコボコと地面が波打ち、汀を取り囲むように競りあがった。

一……二……三。

合計十三体の包帯を巻いた蜘蛛男の姿を形取り、
それが、先ほどまで彼女達を取り囲んでいたものと同じように、
刀の群れの中を、体が切り刻まれるのもいとわずに動き出した。

切り傷がつくたびに、悲痛な声を上げる男達。

だが、その顔は笑顔だ。

とても嬉しそうに、悲鳴を上げている。


250 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/10/18(木) 10:48:10.83 ID:OB2lhOYj0
手に持っていた包丁を、それぞれ脇に放り投げ、
手近な刀を、六本の腕に持つ。

刀と、刀を持った男達に取り囲まれ、
汀は日本刀を構えて周囲を見回した。

そして、まだ磔られている女の子に、厳しい声で言う。

「起きなさい。あなたもマインドスイーパーなら、少しは私の役に立って」

「あなたは……」

か細い声でそう言うと、女の子は体中の痛みに、小さく声を上げた。

まだ、両足と両手の平が釘で木に打ち付けられており、血が流れ出ている。

「なぎさちゃん……?」

呼びかけられ、汀は怪訝そうに振り返った。


251 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/10/18(木) 10:48:58.57 ID:OB2lhOYj0
「なぎさ?」

「なぎさちゃんだよね……?
あたし、岬(みさき)だよ。覚えてる? あたしだよ……!」

汀よりも少し年上の、どこか赤みがかったショートの髪の毛の女の子
――岬は、青ざめた顔のまま、汀にそう言った。

汀は彼女から視線をそらして、近づいてくる蜘蛛男達を睨んだ。

「今トラウマに囲まれてるの。お話はあとでしよう。
あと、悪いけどあなたのことは覚えてない。てゆうか知らない」

『チッ』

耳元のヘッドセットから、圭介が小さく舌打ちをしたのが聞こえた。

「どうしたの圭介?」

問いかけると、彼は一拍置いてから、何でもないことのように言った。


252 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/10/18(木) 10:49:36.02 ID:OB2lhOYj0
『いや、こっちの話だ。
それより、トラウマに囲まれてると言ったな。そこはどこだと思う?』

「異常変質心理壁であることは間違いないと思うけど
……中枢どころか、心の外壁にさえたどり着いてないことは確かだよ。
十五分じゃ間にあわないと思う」

『間に合わせろ』

「……最悪」

毒づいた彼女の目に、後方の平原が、空ごと……つまりその空間そのものが、
ブロック状になって、下方に向かって崩れ落ち始めたのが見えた。

「……訂正。間に合わせなきゃ。精神構造の崩壊が始まったよ。
この人、もうじき死ぬね」

『知ってる。承知の上での治療だ』

そこで、汀の右後方の男が奇声を上げて宙に飛び上がった。


253 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/10/18(木) 10:56:01.29 ID:OB2lhOYj0
実に二、三メートルもふわりと浮き上がり、
六本の刀で汀に切りかかる。

汀は、おぼつかない手つきでそれを一閃して弾いたが、
小さな体が押されて後ろに下がる。

そこで、突き立っていた刀で背中をしたたかにこすってしまい、彼女は

「痛っ!」

と叫んで、一瞬硬直した。

背中からたちまち血が溢れて、流れ落ちる。


254 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/10/18(木) 10:56:44.06 ID:OB2lhOYj0
『どうした?』

圭介に対して

「何でもない。大丈夫!」

そう答えて、汀はまた切りかかってきた男の刃を避け、
地面を転がった後、少女とは思えない動きで一気に間合いを詰めた。

そして男の首に、日本刀を突き立てる。

頚動脈を一瞬で切断したらしく、日本刀を抜いたところから、
凄まじい勢いで血液が噴出し、汀に降りかかった。

返り血でドロドロの真っ赤になりながら、
汀はトドメとばかりに男の胸に、もう一度刃を突き立てた。

それを抜くと、蜘蛛男の一人はビクンビクンと痙攣しながら、
その場に仰向けに倒れた。


255 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/10/18(木) 10:57:25.84 ID:OB2lhOYj0
突き立っていた刀の刃が、後頭部から口に貫通して串刺しにする。

十二人になった男達は、血まみれの汀を見て、楽しそうに笑い声を上げた。

切られた蜘蛛男の体が、粘土のように溶け、地面に流れる。

それが、今度は二人の蜘蛛男の形をつくった。

一人から、二人に増えて十四人。

「キリがない……」

毒づいた汀の肩で、小白が威嚇の声を上げている。

そこで、地面に崩れ落ちた岬の声が聞こえた。

「なぎさちゃん、助けてくれてありがとう……早く、ここを抜けなきゃ……」

「私はなぎさなんて名前じゃないよ。
それに、そんなこと言われなくても分かってる」


256 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/10/18(木) 10:58:07.04 ID:OB2lhOYj0
冷たくそう返し、汀は、無理やり足から釘を引き抜いている岬を見た。

「歩ける?」

「何とか……」

「トラウマと戦ってもキリがないから、
逃げたいんだけど時間がないの。この世界はもうすぐ崩壊するし」

汀達の、数十メートル先の空間が、ブロック状になって崩れ落ちる。

「とりあえず、無理にこじ開けるしかなさそうだね……!」

汀はそう言って、足元の地面に刀を突き立てた。

男達が、その瞬間同時に絶叫した。

血走った目を丸く見開き、
彼らがゆらゆらと揺れた後、同時に汀に切りかかる。


257 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/10/18(木) 10:58:43.28 ID:OB2lhOYj0
汀は、抵抗のある感触を感じながら、
ズブズブと刃を根元まで押し込んだ。

そして力任せに、地面から飛び出た柄を踏み込む。

男達がまた絶叫し、
汀が刀を突き立てた部分からおびただしい量の血液があふれ出す。

それを見た岬が、青い顔を更に真っ青にした。

「な……何してるの? 心理壁を直接傷つけたら、
この人の体にどんな障害が残るか……」

「どうせ死ぬんだから関係ないよ」

そう言って、汀は血の出ている部分に足をたたきつけた。

ボコッと地面が歪み、ブロック状に抜け落ちる。


258 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/10/18(木) 10:59:13.28 ID:OB2lhOYj0
その先は、真っ黒な空間になっていた。

岬は、荒く息をついて涙を流しながら、
折られた腕の骨を、力任せに元にはめているところだった。

彼女のもう片方の手を掴み、汀は言った。

「行くよ。逆にこっちが死ぬかもしれないけど、まぁそれって、運命だよね」

「割り切ってるね……」

「言われるまでもないよ」

軽く微笑んで、汀は岬を先に穴の中に投げ入れ、小白を抱いた。

彼女達は、ブロック状に空いた穴の中に飛び込んだ。

その瞬間、男達を飲み込むように、空間が崩れ落ちる。

彼女達の意識は、またホワイトアウトした。


259 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/10/18(木) 11:00:07.85 ID:OB2lhOYj0


気がついたとき、彼女達は打って変わって爽やかな、
小鳥がさえずる丘の上に立っていた。

岬が体の痛みに耐え切れず、足元の草むらに崩れ落ちる。

彼女を一瞥してから、汀は木が立ち並んでいる丘を見回した。

蝶々が沢山飛んでいる。

それぞれ色や大きさは違ったが、
共通していたことは、紙で出来ていたということだった。

近くの蝶々を一匹捕まえて、汀はそれを握りつぶした。

途端、周囲に青年の悲痛そうな声が響き渡った。

<僕はやってない! 僕は違うんだ。頭の中の人が命令したんだ!>


260 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/10/18(木) 11:00:47.97 ID:OB2lhOYj0
くしゃくしゃになった蝶々を広げてみる。

そこには、血液のようなもので雑に、
先ほど流れた音声と同じものが書かれていた。

汀はそれを脇に放ると、もう一匹蝶々を捕まえようと、その場をはねた。

『汀、どうだ?』

圭介に問いかけられて、汀は言った。

「ダイブ、心理壁の中に進入成功したよ。」

『トラウマに囲まれてたんじゃなかったのか?』

「この人の心理壁を壊しちゃった。どうせ自己崩壊してる途中だったから」

それを聞いて、圭介は一拍置いてから深くため息をついた。


261 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/10/18(木) 11:01:25.25 ID:OB2lhOYj0
『お前……』

「廃人になるね。この人」

何でもないことのように言って、汀は面白そうに、
紙の蝶々に囲まれながらくるくるとその場を回った。

「でも、いいじゃない。どうせ死刑で死んじゃう人だよ?」

『…………』

「圭介?」

『治療を続けろ。いいか、お前は人を救うんだ。
そのためにダイブしてるんだ。分かるな?』

「圭介、私思うんだけどさ」

そこで汀は、ヘッドセットに向かって、困ったような顔をした。


262 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/10/18(木) 11:02:09.98 ID:OB2lhOYj0
「死刑で殺される人を治して、それで、救ったって言えるのかな?」

『ああ。お前は余計なことを考えず、救えばいいんだ』

「圭介、それは違うよ」

汀は淡々とそう言った。

「助けない方がいいよ、この人」

また近くの蝶々を一つ掴んで、握りつぶす。

<うるさい! うるさい! 僕は殺すんだ!
あの女を……僕を笑った女を! 殺してやる! 殺してやる! 殺してやる!>

『どうして?』

圭介に聞かれ、汀は答えた。

「だって、屑は死んでも治らないもの」


263 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/10/18(木) 11:02:39.16 ID:OB2lhOYj0
『…………』

圭介はしばらく考え込んでいた。

が、断固とした口調で彼は言った。

『治せ』

汀は、また一つ蝶々を握りつぶした。

<誰も僕を分かってくれない、誰も僕を分かろうとしない。
誰も彼もが僕を見下すんだ。僕は……僕は……>

そこで、突然木々の間に蜘蛛の巣が出現した。

蝶々達が、次々と網にかかっていく。


264 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/10/18(木) 11:03:11.04 ID:OB2lhOYj0
<僕は……僕は……僕は……>

<殺してやる! 殺してやるんだみんな!>

<血……ひき肉……>

<興奮する。絶叫を聞くと>

<僕を拒絶する声を聞くと、僕は生きている実感を得ることが出来るんだ>

<だから鳴いてよ。もっと、もっと鳴いて>

<誰か僕を分かってよ! 僕はここにいるよ!>

<どうして誰も分かってくれないんだ! 父さんも、母さんも……>

<僕は……! 僕は!>


<僕は、誰だ?>


265 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/10/18(木) 11:03:43.97 ID:OB2lhOYj0
最後の呟きは、ぐわんぐわんと丘に反響して消えた。

蝶々達は、動きを止めていた。

おびただしい数の蜘蛛が、カサカサと動いて蝶々達を食べ始める。

蜘蛛も、紙で出来ていた。

「この人は自壊を選択してる。
生きてても、自分のことが何だか分からなくなってるよ」

『でも、治すんだ』

「どうして?」

『……俺達が、医者だからだ』


266 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/10/18(木) 11:04:15.43 ID:OB2lhOYj0
「医者?」

『医者は人を治す。それが、人を救うということだ。
お前は目の前のことしか見ていない』

「…………」

『汀』

圭介は、彼女の名前を呼んで、優しく言った。

『人を、救いたいんだろう?』

「…………」

『沢山の人を、お前の手で救ってやりたいんだろう?』

「…………」

『目の前だ。そのチャンスを、お前の手で掴め。
それは、お前の「踏み台」だ。それ以上でも、それ以下でもない』


267 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/10/18(木) 11:06:02.26 ID:OB2lhOYj0
「私……私は……」

「なぎさちゃん!」

そこで、うずくまっていた岬が大声を上げた。

ハッとした汀の足元に、紙の蜘蛛の大群が迫ってきていた。

岬が這って逃げようとしている。

小白は、汀の肩の上で、シャーッ! と毛を立ててうなった。

「貴方達が欲しいのは、これ?」

汀がニコリと笑って、蜘蛛達の前に、閉じていた右手を開いた。

そこには、いつの間に捕まえたのか、
虹色の羽をした蝶々が一匹、握りこまれていた。

「あげてもいいよ」


268 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/10/18(木) 11:06:35.18 ID:OB2lhOYj0
『汀!』

圭介が大声を上げる。

汀は、動きを止めた蜘蛛達に言った。

「でも、自分が自分であるのか、
分からないままでいるのは悲しすぎるから」

彼女はそう言って、虹色の蝶々を、
折り紙を元に戻すように、ゆっくりと開き始めた。

空間がざわついた。

蜘蛛達の口から、男の拒否を示す凄まじい絶叫が辺りに轟きわたる。

「私が、あなたにあなたの顔を見せてあげるよ」

折り紙を開く。


269 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/10/18(木) 11:07:02.62 ID:OB2lhOYj0
それは、顔写真だった。

赤ん坊の、写真だった。

「中島正一。それがあなたの名前。
あなたは何にもなれないし、何かになれるわけでもない」

汀は、クスリと笑った。

「これから、殺されにいくの。それから逃れることは、多分できないの」

いつの間にか、おびただしい数の紙の蜘蛛は、
足を上に向けて、硬直して死んでいた。

代わりに、丘の向こうがざわついた。

次いで、地面が揺れた。

ミキミキと木を押しつぶしながら、何かが地面の下から出てくる。



次へ 戻る 上へ