■戻る■ 下へ
少女「それは儚く消える雪のように」 2
- 169 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga]
投稿日:2012/03/26(月) 19:42:46.72 ID:H1W87tW/0
5.片翼の天使が飛ぶ
絆がその病室を訪れたのは、
桜との熾烈な戦闘から、
一週間ほどが経過した時だった。
出かける数時間前、絆は彼のラボの中にいた。
――体中が痛む。
折れた腕と足、ヒビが入ったあばら骨。
重度の火傷を負った背中。
満身創痍といった言葉が
丁度当てはまる状態だった。
ラボの中での生活にも苦労する体に
なってしまった絆をサポートするために、
渚が訪れていた。
- 170 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/26(月) 19:43:35.71 ID:H1W87tW/0
最初は彼女を警戒していた雪だったが、
最近少しずつ、優しいクランベである
渚に心を開くようになっていた。
「これで、雪ちゃんの薬は全部ね」
雪の腕に点滴を刺しながら、渚が言う。
雪は小さく笑って
「ありがとう」
と言うと、ソファーに腰を下ろしている
絆の方に顔を向けた。
「大丈夫? 何だかつらそう」
問いかけられて、絆は軽く息を吐いてから
彼女に返した。
「ああ……気にするな。こんな傷、すぐに治る」
- 171 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/26(月) 19:44:15.02 ID:H1W87tW/0
「…………」
心配そうに見えない目を向ける雪。
その顔から視線を離し、絆は言った。
「さて……俺は出かけるが、お前達は
渚さんと一緒にここに残っていてくれ」
「マスター……お出かけになるのですか?」
心配そうに、食器を洗っていた霧が口を開いた。
彼女は最近、進んでラボの中の家事の
手伝いをするようになっていた。
絆は頷いて霧を見た。
「ああ。少し用事があってな……」
- 172 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/26(月) 19:44:55.30 ID:H1W87tW/0
「私も行きます」
「……私も」
霧と雪が同時に言う。
絆はしかし、渚と顔を見合わせてから首を振った。
「いや……俺一人で行くよ。
今日の夕方には帰ってくる」
「…………」
「ですが……」
黙り込んだ雪と対照的に、
手を止めて近づいてきて、
不満げに言った霧の頭を撫でる。
「帰りに好きなものを何か買ってきてやろう。
欲しいものを言え」
- 173 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/26(月) 19:46:59.36 ID:H1W87tW/0
頭を撫でられた霧が僅かに顔を紅潮させる。
雪が、そこで絆に伺うように聞いた。
「大丈夫なの……? 出歩いて……」
バーリェに体調を心配されると言うのも、
不思議な感覚だ。
それが半分死んでいるかのような雪に
心配されているのだから、世話がない。
絆は笑ってそれに返した。
「何がだ? 俺はいつも通りだが」
「体の骨が沢山折れてるんでしょ?
背中の火傷も治ってないって聞くし……」
渚の方に顔を向けて、雪は続けた。
- 174 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/26(月) 19:47:42.76 ID:H1W87tW/0
「……じゃあ、私達は大丈夫だから
渚さんがついていってあげて」
「え……」
渚が一瞬戸惑いの表情を、顔に浮かべる。
そして彼女は息をついて、雪に返した。
「特務官は大丈夫です
……あなた達が心配することはないのよ?」
「嘘。だって、『人間』って、
私達みたいに壊れた部分を
取り替えることって出来ないんでしょ?」
雪が静かに渚の言葉を打ち消した。
いつになく強く止める雪の頭を、
絆は手を伸ばして、
先ほど霧にしてやったように撫でた。
- 175 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/26(月) 19:48:25.46 ID:H1W87tW/0
「お前は今の医療技術を甘く見てるな。
痛み止めも打ってるし大丈夫だよ」
「…………」
「ですが、お一人で行かれるのは、
やはり不安です。
お姉様の代わりに、私がご一緒します」
霧が前に進み出て言った。
雪はそれに頷いて、絆に向けてそっと口を開いた。
「霧ちゃんを連れてって。
私は、ラボに残ってるから」
「…………分かった。
霧、じゃあついてこい。
雪にはコーラを買ってきてやろう」
少し考えて、絆はこれ以上彼女達と口論しても
何のためにもならないと思い直し、
霧に向けて手を伸ばした。
- 176 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/26(月) 19:49:13.22 ID:H1W87tW/0
霧が笑顔になって絆の手を握る。
「霧ちゃん、絆をよろしくね」
雪がそう言うと、霧は元気に頷いた。
「はい!」
「……宜しいのですか、絆特務官」
渚に問いかけられて、
絆はただ、軽く肩をすくめてみせた。
渚が諦めたように息をつく。
「夕方には戻る」
- 177 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/26(月) 19:49:42.71 ID:H1W87tW/0
「お気をつけください。
そうでなくても、最近は物騒ですから……」
渚はそう言って、雪の手を握った。
「一緒にゲームでもしていましょう」
「うん」
雪が頷き、絆の方に手を振る。
「気をつけてね」
- 178 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/26(月) 19:50:14.10 ID:H1W87tW/0
*
ラボを出て、呼び出していた
タクシーに乗り込み、軍病院に向かう。
途中、霧がそわそわしながら絆に聞いた。
「何をされに行くのですか?」
「うん……まぁ、な」
煮え切らない返事でその場を濁して、
絆は霧の方を向いた。
「そういえば……
ずっとお前に聞こうと思っていたことがある」
「何ですか?」
キョトンとした顔で霧が返す。
絆はしばらく言い淀んだ後、静かに聞いた。
- 179 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/26(月) 19:50:48.82 ID:H1W87tW/0
「少し前に、お前……
俺に『大事なこと』を言おうとしなかったか?」
「大事なこと……」
考え込んで、霧は首を傾げた。
……やはり時間が経ちすぎていたか。
絆は霧から視線を離して、息をついた。
「いや……覚えてないならいいんだ」
バーリェの睡眠誘発剤には、
記憶障害を引き起こすという副作用がある。
ごく軽度なもののはずだったのだが、
霧にはその影響が顕著に出ていた。
絆が聞きたかったのは、
一週間前に霧が自分に言おうとした
「陽月王のブラックボックス」に関する情報だった。
- 180 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/26(月) 19:51:32.84 ID:H1W87tW/0
――陽月王には、自分以外を乗せない方がいい。
霧は、確かにそう言った。
途中で彼女は眠ってしまい、
ちゃんとした言葉を聞けなかったのが、
ずっと心に残っていたのだ。
一週間前の戦闘で、優は陽月王の
――名付けるとしたら「ブラックボックスシステム」を
起動させた。
その結果
――全エネルギーヲ解放シマス。
優は、一瞬で全ての生体エネルギーを
搾り取られ、ショック死した。
おそらく、あの時に使ったエネルギーシステムが、
ブラックボックス。
異常なシステムだ。
- 181 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/26(月) 19:52:26.09 ID:H1W87tW/0
本来ならばストッパーがかかり、
バーリェがショック死するほど過剰に、
全てのエネルギーを搾り取られるなんてことはない。
それに……。
優も、文も。
陽月王に接続されて、
戦闘に入ってから様子がおかしかった。
妙に好戦的というか、
まるで戦闘が楽しくてしょうがないという風に。
命もそうだった。
精神が極度の恐怖でやられたのかとも思っていたが、
流石に三人連続で続いたとすれば、
絆でなくても考えるだろう。
文に至っては、絆の操縦システムを遮断するほど、
「目の前の戦闘」に集中していた。
- 182 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/26(月) 19:53:16.15 ID:H1W87tW/0
その一連の理由を、霧が知っていると
思っていたのだが、本人がその話を
しようとしていたのを忘れていたのでは、
仕方がない。
無理に聞きだすことも出来るのだが、
それを、絆はしたくなかった。
覚えていなかった時は、
自分で話してくれるまで待つつもりだった。
「何ですか? 気になります」
食い下がってきた霧に視線を向けて、絆は言った。
「お前が、寝言で『恐竜が来ます、恐竜が……!』って
繰り返し言うもんだから気になってな」
「恐竜……?」
素っ頓狂な声を上げて、霧は耳元まで真っ赤になった。
- 183 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/26(月) 19:53:50.00 ID:H1W87tW/0
「わ、私そんなことを言っていましたか?」
「頻繁にな」
「そんな……マスター、盗み聞きはいけないことです」
恐竜の何が怖いのかは分からなかったが、
霧が頻繁に寝言を言うのは本当のことだった。
寝言の中でも敬語なんだなと感心した覚えがある。
絆は軽く笑うと、運転手に向けて口を開いた。
「そこを左です。中につけてください」
タクシーが曲がり、軍病院内の駐車場に入り、
入り口にピタリと寄せる。
- 184 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/26(月) 19:54:35.18 ID:H1W87tW/0
時間通りだ。
病院の入り口には、エフェッサー管轄の
バーリェ専門医達が待機していた。
絆は霧に扉を開けてもらい、
体を引きずるようにして外に出て、呼吸を整えた。
霧が医師達を見て、不安そうに絆の脇に隠れる。
「マスター……まさか……」
言い淀んだ霧に、絆は頷いてみせた。
「もう一人、バーリェを迎えに行く。お前の妹だ」
- 185 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/26(月) 19:55:20.21 ID:H1W87tW/0
*
医師達に歩きながら説明を受ける。
専門用語が飛び交っていて、
霧には分からない分野だ。
絆はそれに機械的に返しながら、
松葉杖をつきつつエスカレーターに乗り込んだ。
「特例的に今回の生成に成功した個体を、
S678番と名付けることになりました」
「678……?」
絆は怪訝そうにそれに聞き返した。
「随分93番(霧のこと)と離れていますね」
「なにぶん、今回の試みは手探りの情報が多く、
私どもも元老院、及びエフェッサー本部の
ご要望に沿える個体を調整するまでに、
相当数を犠牲にしました」
- 186 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/26(月) 19:56:11.21 ID:H1W87tW/0
医師の一人が、手元の資料に
視線を落としながら淡々と言う。
単純に考えても、678引く93。
つまり585体のバーリェが、
調整段階で廃棄されたということになる。
厳密に言うと、バーリェの型番は単なる記号であり
その限りではないのだが、感覚的にも、
今回は大量の犠牲の上、「霧の上位互換個体」が
生成されたのだということを察知できた。
おそらく、雪と死星獣の混合体を創り出したのが霧。
そしてその霧のクローンを、
更に調整して創り上げたのが、
今回の「S678番」なのだ。
- 187 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/26(月) 19:56:57.33 ID:H1W87tW/0
クローンのクローン。
その更に複製体。
既にそれは、人間の踏み込んでいい
領域を完全に逸脱している。
しかし、元老院とエフェッサーは、
一連の霧、そして絆のバーリェ達の上げた戦果に、
大いに満足していて。
それが起因していることは、事実でもあった。
結果だけを見れば、だ。
冷静になって考えてみれば、
文が暴走してエネルギー量子波の爆発で、
死星獣もろとも爆発させた味方のAADは、
合計三十八機。
一種の戦略兵器並の損害だ。
- 188 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/26(月) 19:57:38.14 ID:H1W87tW/0
しかしそれを補って余りある戦闘データと、
バーリェの生体データが存在していることが事実であり。
絆は、一切を不問として扱われていた。
医師達の淡々とした声に、
怯えたように霧が絆の服の裾を掴む。
「しかし……どうしても
クリアできなかった問題がありまして……」
言いにくそうに医師の一人が口を開く。
「問題……?」
絆は首を傾げた。
またどうせ「番外個体(不完全なクローン)」
なのだろうが、それをエフェッサー側から
口に出すということは、あまりないことだったからだ。
- 189 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/26(月) 19:58:19.44 ID:H1W87tW/0
霧の場合は、何としてでも彼女を
戦闘に使おうとするエフェッサー側の意向により、
「精神的番外個体」である彼女の欠陥は、
いまだに認められていない状況であるくらいだ。
もっとも、霧自身の努力により、
彼女はある程度の思いやりと協調性を
持つことは出来るようになっていた。
そこに至るまでに、霧がどれだけ葛藤して、
どれだけ悩んだのかは分からない。
しかし、生半可な努力ではないことは確かだ。
「見た目が少々悪いのです。
少なくとも、『普通』ではありません」
医師の一人が断言する。
「…………」
絆は、それに答えを返さず、松葉杖に寄りかかった。
- 190 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/26(月) 19:58:59.82 ID:H1W87tW/0
こいつらが、普通ではないと形容するくらいだ。
本当に、普通ではないのだろう。
最初から番外個体だと断っておいて
受け渡しを行うとは、やってくれる。
しかし、現在の人類が置かれている現状は
それだけ切迫しているというのも事実ではあった。
フォロンクロン等の一斉攻撃の後、
新世界連合の拠点を絞り込めていない
というのも大きかった。
一週間経つが、絃からの電波ジャックは
まだ行われていない。
相変わらずスラム街の大量虐殺は続いていたが、
新世界連合の人間を殺すことが
出来たという報はなかった。
- 191 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/26(月) 19:59:43.34 ID:H1W87tW/0
それどころか、各地でスラム街の人間達が
暴動を起こし、一種の集団ヒステリーのようなものを
形作ってしまっているのが、今の世界の流れだった。
軍やエフェッサーは、その暴動を片っ端から「皆殺し」と
いう形で抑えてはいたが、既に世界中のスラム街の
人間の反発は、抑えることが難しいレベルにまで
達してしまっている。
人間は、死に面した時に一番本性が出ると言われている。
まさにそんな状況だ。
追い詰めすぎたのだ、スラムを。
中には新世界連合に賛同するスラム街の
人間も出始めていると聞く。
世界は、着実に最悪な方向に向かい始めている。
- 192 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/26(月) 20:00:15.09 ID:H1W87tW/0
しかし、一週間の間に一度も死星獣は出ていない。
フォロンクロンでの戦闘が、出現の最後だ。
それ故に、エフェッサーは次に死星獣が現れた時に
本部が狙われる危険性が高いと判断していた。
今回製造されたバーリェ、
S678はそれゆえの急造のバーリェだ。
多少の不具には目を瞑るしかない……。
だが、そう思って病室の扉を開けた絆と、
ついてきた霧は、その中の様子を見て一瞬硬直した。
――多少、ではなかった。
- 193 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/26(月) 20:01:05.38 ID:H1W87tW/0
「え……」
霧がポカンとして病室の中、
ベッド脇の「車椅子」に腰掛けていたバーリェを見る。
両足が、太股からなかった。
右腕も、肘の部分から先がない。
整った顔立ちをしていたが、
眼帯で覆われた右半分の顔には醜いケロイドが
広がっており、
右目は完全に潰れていることが推測できた。
左手だけで電動車椅子を操作して、
首の後ろで二房に白髪をまとめた少女は、
物憂げな表情で絆を見た。
「こんにちは。あなたは……誰ですか?」
蚊の鳴くような声で、少女は呟くように言った。
- 194 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/26(月) 20:03:30.41 ID:H1W87tW/0
お疲れ様です。
次回の更新に続かせていただきます。
引き続き、ご意見やご感想、ご質問などが
ございましたら、書き込みをいただけますと嬉しいです。
それでは、今回は失礼します。
- 196 名前:NIPPERがお送りします [sage] 投稿日:2012/03/26(月) 22:26:16.63 ID:8I58XtESO
乙。
毎回毎回、本当にいい所で引くなぁ………
- 197 名前:三毛猫 ◆E9ISW1p5PY [saga] 投稿日:2012/03/27(火) 19:38:15.03 ID:+6h/+PqS0
こんばんは。
ツイッターやスレで沢山のメッセージ、ありがとうございます!
続きが書けましたので投稿させていただきます。
楽しんでいただければ幸いです。
次へ 戻る 上へ