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猫「吾が輩は猫である」
1 名前:VIPがお送りします [] 投稿日:2010/06/23(水) 00:06:41.38 ID:wE3ERgonO
男「……」
猫「どうした人間。そのように呆けた顔をして」

男「いえ。弐拾余年生きてきましたが、
 猫が喋ったのを見るのは初めてなもので」

猫「そうか。それにしては驚かないのだな」

男「いえいえ。こう見えて私は驚いているのですが」


2 名前:VIPがお送りします [] 投稿日:2010/06/23(水) 00:14:27.50 ID:wE3ERgonO
猫「そうか。吾輩はこれまで99の人間と話をしたが、
 皆最初はもっと大袈裟に驚いて見せたのだがな」

男「そうですか。それで、その猫さんが私に何の御用でしょうか。
 道にでも迷われましたか?
 しかし申し訳ありませんが私も今日この街に来たばかりで」

猫「吾輩はこの街にもう何拾年も住んで居る。道に迷いなどするか」
男「では一体なにを」

猫「お主、何か望み事は無いか?」
男「……はい?」

猫「――その願い、この吾輩が叶えてやろう」


3 名前:VIPがお送りします [] 投稿日:2010/06/23(水) 00:16:48.22 ID:eQMKqgIhO
ふむ


4 名前:VIPがお送りします [sage] 投稿日:2010/06/23(水) 00:23:28.29 ID:ypZpfZTlP
男「しかし、私は然したる悩みなど持ち合わせて居りません故」
猫「ええい。何かあるだろう。金が欲しいだとか、女が欲しいだとか」

男「ふうむ。そうですね……。
 しかし猫さん、ひとつ尋ねても良いでしょうか?」
猫「なんだ」

男「何故猫さんは私の願いを叶えるなど、物好きでもしないような事を
 なさろうとしているのでしょう」
猫「ええい。そのような事はお主には関係は無いだろう。
 吾輩は与えると云って居るのだ。お主は只、其れを享受すれば良いだけの話し」

男「これは困りましたね。――あぁ、そうだ!」
猫「何か願いが決まったか」

男「実は私、下宿先である先生のお家への道に迷って居りまして。
 無事に其処まで行きたいのですが」
猫「……」

男「難しいお顔をされて、どうされたのです?」
猫「――いや、変な人間だと思ってな」

男「面白い事を言う。変なのは人の言葉を喋る猫さん、貴方の方でしょう?」


5 名前:VIPがお送りします [sage] 投稿日:2010/06/23(水) 00:32:24.49 ID:ypZpfZTlP
男「おお。之が瓦斯灯と言うものですか」
猫「なんだ。そんなもの別段珍しくも無いだろう」

男「いえ。私の里にはこのような瓦斯灯も、煉瓦造りの家も在りませんでした」
猫「……そうか」

男「あ、あれは何でしょう。何やら女学生が奇怪な乗り物に……」
猫「あれは自転車と謂う物だ」
男「自転車……乗っている女学生も随分とハイカラな方でした」

猫「なんだ。惚れたか」
男「そ、そのような事は」

猫「事の序でだ。道案内だけでは願いを叶えた気もせぬ故、力を貸してやっても良いぞ」
男「わ、私は勉学の為に東京にやって来たのですっ」

猫「っくくく。……まぁ、気が変わったら謂うが良いさ」


6 名前:VIPがお送りします [sage] 投稿日:2010/06/23(水) 00:40:18.94 ID:DF3q0E4D0
なにこれ面白い


7 名前:VIPがお送りします [sage] 投稿日:2010/06/23(水) 00:42:11.47 ID:ypZpfZTlP
猫「此処か。ふん。随分な豪邸だ」
男「先生は御高名な方です故」

猫「では吾輩は之で」
男「おろ。行ってしまうのですか」
猫「この辺りでぶらぶらしているさ。
 何か道案内以外の願いが決まったら謂いに来ると良い」

男「解りました。ではまた」
猫「ふん。つくづく解せぬ人間だ」

男「行ってしまった……。さて、御免下さい」

しーん。

男「おろ。……御留守ですかね。
 仕方無い。暫く何処かで時間を潰して出直すとしましょう」

キキィッ。

男「ん? 先程の自転車とやらの音が……」

女「……何方様?」


8 名前:VIPがお送りします [sage] 投稿日:2010/06/23(水) 00:46:32.33 ID:ypZpfZTlP
男「あ、貴女は先程の……」
女「何を謂っているの?」
男「いえ、先刻貴女を街で見掛けまして」
女「……そう。それで、何かわたしの家に御用?」

男「今日より此方に下宿をさせて戴く事になって居ります、男と謂います」
女「ああ。貴方が例の書生の」
男「……」

女「あの? 聞いています?」
男「あ……いえ。そう謂えば先生は何方に?」

女「ああ、お父様ならば」
男「ふむ」

女「お母様と英吉利に渡って居る最中だけれど?」
男「……おろ?」


9 名前:VIPがお送りします [sage] 投稿日:2010/06/23(水) 00:50:46.80 ID:ypZpfZTlP
――
――――

女「此方が貴方のお部屋」
男「一つ、宜しいでしょうか」
女「何か?」

男「東京の御家と謂う物は、この様に沢山の部屋を持って居るのが通常なのですか?」
女「いえ……余り他所様の御家の事は解らないのだけれど」
男「ふぅむ」

女「――あぁ、そう言えば」
男「何か?」

女「隣の御部屋にはまた別の書生の方が御住いだから」
男「やはり先生は何時でも書生の御力になって下さっているのですね」

女「そのような大層な事では無いわよ。
空いた部屋ばかりでも勿体無いだけじゃない」
男「はぁ」


10 名前:VIPがお送りします [sage] 投稿日:2010/06/23(水) 01:00:28.80 ID:ypZpfZTlP
女「あ、そうだわ」
男「何か?」

女「今は家事や雑務は隣のもう一人の書生がやって居るから。
 明日からは彼と手分けをしてやって貰うことになるわね」
男「はぁ」

女「しかしお父様のお考えも私には良く解らないわ」
男「……?」

女「わざわざ地方から書生を呼んで住まわせるのだから、
 一体どんな秀才かと思っていたけれど。
 こんなうだつの上がらない男だったとはね」
男「なっ」

女「……では、私は自室に戻るから」

パタンッ

男「な、何なんだ……」


11 名前:VIPがお送りします [sage] 投稿日:2010/06/23(水) 01:06:41.62 ID:ypZpfZTlP
猫「困っているようだな」
男「これは。何処から入って来たのです?」

猫「吾輩は猫なのだ。少しの隙間さえあれば何処へでも潜り込める」
男「はぁ」

猫「して。街中で見蕩れた女学生が、
 よもやあのように口も態度も悪いとは思わなんだようではないか」
男「まぁ。それはそうですが」

猫「吾輩の助けが必要か?」
男「猫さんならば、どうにか出来ると仰るのですか?」
猫「それはやってみなければ解らぬな」

男「其れより。勝手に猫を連れ込んだと彼女に知られれば、どんな非道い事をされるか」
猫「なっ」

男「……今晩は猫鍋を頂く事になるのでしょうか」
猫「待てっ、お主そのような良からぬ事を考えるのは止めないかっ!」


12 名前:VIPがお送りします [sage] 投稿日:2010/06/23(水) 01:13:24.18 ID:ypZpfZTlP
男「大体ですね」
猫「なんだ」

男「『助け』と謂っても、具体的に猫さんは私にどのような力添えをしようと
 お考えなのでしょうか」
猫「女の“お”の字も知らぬお主が一人で思い悩むよりは、
 余程有用な策を思いつくやも知れぬぞ?」

男「猫さんは女性の考えに通じていらっしゃるのですか?」
猫「お主よりも永き生を歩んで居る故」
男「……は?」

猫「ふぅむ。そう謂えば、歳なぞは面倒で数えるのを忘れてしまっていたな。
 最後に数えたのは七拾だったか」
男「なっ」

猫「おや。余り驚かないようだな」
男「充分に驚いて居ますっ!」


13 名前:VIPがお送りします [sage] 投稿日:2010/06/23(水) 01:20:27.35 ID:ypZpfZTlP
猫「まぁ。先ずは隣に住んで居ると謂う書生と会う処から始めないとな」
男「私も考えて居ました。一体どのような方なのでしょうか」

猫「其ればかりは実際に会ってみなければ。吾輩にも解らぬな」
男「其れはそうでしょうが……」

猫「――只、ひとつだけ予感を謂うとすれば」
男「ほう」

猫「その男も又、変わり者やも知れぬぞ?」
男「それは勘弁して頂きたいのですが……」

猫「さぁ。その男と会うのが愉しみになって来たではないか」
男「そんな他人事だと思ってからに」

ガタタン。パタン。

猫「ほぉら。そうこう話して居る内に隣人の御帰りのようだぞ」
男「……嫌な予感しかしませんが」


14 名前:VIPがお送りします [sage] 投稿日:2010/06/23(水) 01:29:21.45 ID:ypZpfZTlP
男「あのぅ。御免下さい」

ガララッ。

男友「あらぁ!可愛らしいオトコノコじゃな〜い!
 ど、ち、ら、さ、ま?」
男「む、無駄にクネクネとしないで頂きたいのですが……」

男友「御免なさいねぇ。アタシ、つい可愛い子を見るとこうなっちゃうのよぅ」
男(猫さんの予想は確りと的中してしまった様だ……)

男友「ねぇ。アナタ」
男「はぁ」

男友「ひょっとして、今日から下宿するっていう子かしら?」
男「あ、はい。今日からお隣の部屋に。男と謂います」

男友「いやぁ〜ん! アタシの普段の行いが良いからかしら!
 こんなに可愛い子が隣に越して来るなんて!
 嗚呼、この世の中もまだまだ捨てた物じゃ無いわね!」

男「……何と謂う事だ」


15 名前:VIPがお送りします [sage] 投稿日:2010/06/23(水) 01:36:27.19 ID:ypZpfZTlP
――男友の部屋

男友「良いから、入って入って!」
男「……お邪魔します」

男友「お茶を淹れるから、少し座って待って居てね〜ん♪」
男「はぁ」

男友「あ、そうそう」
男「何か?」

男友「淑女のお部屋を勝手にキョロキョロ見ちゃダメよ〜?」
男(貴方は歴とした男性では無いですかッ!)

男友「〜♪」
男「……あ」

男友「何よ〜? どうかしたの〜?」
男「あ、いや。この本……。男友さんも文学を学んでいらっしゃるのですか?」

男友「も〜ぅ。勝手に見ちゃダメって謂ったでしょう?」
男「あ、……済みません」


16 名前:VIPがお送りします [sage] 投稿日:2010/06/23(水) 01:39:19.38 ID:haSNNyHl0
面白い


17 名前:VIPがお送りします [sage] 投稿日:2010/06/23(水) 01:44:12.01 ID:ypZpfZTlP
男友「まぁ、いいわ。――はい、御茶」コトリ
男「あ……有難う御座います」

男友「アタシ、これでも地方じゃあ――と言っても雪深い山間の国なんだけどね
 神童なんて呼ばれちゃって。割とお勉強も好きだったし。
 偶々知り合いに先生の知己の方がいらっしゃって。
 誘って頂いたのよ。東京に来ないかってね」

男「……はぁ」

男友「けれど駄目ね。井の中の蛙だったわ。
 海の広さを知れたのは良かったけれども、それに圧倒されてしまった」
男「……」

男友「仏蘭西文学が大好きでね。是がアタシの生きる道だと思っていたのよ」
男「……男友さん」

男友「――なぁんて! なんだか随分恥ずかしい御話をしてしまったわね!
 そんな訳で今じゃあ落ち零れた書生だから。
 あぁ、好きな本が在ったら持っていって良いわよ」


18 名前:VIPがお送りします [sage] 投稿日:2010/06/23(水) 01:47:21.42 ID:ypZpfZTlP
>>16 ありがとデス。御覧のように激過疎なので、まったりやらせて頂きます。
 ということで15分程、コーヒーでも淹れてきます。


20 名前:VIPがお送りします [sage] 投稿日:2010/06/23(水) 02:10:30.78 ID:ypZpfZTlP
男友「男は何処からやって来たの?」
男「海のある町でした。
とんだ田舎者で、瓦斯灯も煉瓦造りの家も今日初めて見たのです」

男友「あら。アタシだってそうだったわよ。
 驚くべきは文明開化ね。亜米利加や欧羅巴の文化を取り入れて、
 東京はまさに異国のように見えたわね」
男「そうですね……自転車等と謂う面妖な乗り物に乗った女学生が居るなんて」

男友「あらぁ。御嬢様の事?」
男「ええ、まぁ」

男友「東京でも自転車を持って居る人はそう多くないわよ。
 先生も奥様と英吉利に行かれたし。
このお家は代々随分な資産家だったらしいのよね」

男「ふぅむ」


21 名前:VIPがお送りします [sage] 投稿日:2010/06/23(水) 02:15:40.10 ID:ypZpfZTlP
男友「――御嬢様、綺麗な淑女よね?」
男「なっ」

男友「あらぁ、図星かしら?」にやり
男「……確かに彼女は見目麗しい方です。ハイカラという言葉そのものの様な。
 けれど……」

男友「――御嬢様にも色々とあったみたいよ」
男「え?」

男友「まぁ。あんまりアタシも詳しい事は知らないし、
 アタシの知って居る事なんて、殆どが噂話なのだけれど」
男「はぁ」

男友「ほら。あの出で立ちで、おまけに資産家の娘な物だから、
 随分と色々な噂が立っているのよ。
 アタシはそれを聞いただけ」
男「噂というのは……?」

男友「察しの通り、余り良いものでは無いわね」
男「……そうですか」


22 名前:VIPがお送りします [sage] 投稿日:2010/06/23(水) 02:24:01.54 ID:ypZpfZTlP
男友「――訊きたい?」
男「……いえ」

男友「ん。賢明な判断ね」
男「余り先入観を持つのは止めた方が良いと思いますし」

男友「あらぁ。随分な惚れ込み様じゃない?」
男「そ、そのようなっ」

男友「ふふっ。可愛いわねぇ〜」
男「お、男友さん。その様に無暗に触るのは……」
男友「あら、失敬。ついつい♪」

男(私は無事に此処での生活を送れるのでしょうか……)ぞくりっ

男友「――さてと。そろそろ夕餉の準備をしないとね」
男「へ?」

男友「家のお仕事は書生の仕事。訊いて居るでしょう?」
男「あぁ……成程。
 そう言えば男友さんと手分けをする様に謂われました」

男友「どうするの? 一緒に支度をする?
 今日は此方に来たばかりで疲れているかしら?」
男「あ、いえ。お手伝いします」

男友「あら、そう♪」にっこり



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